新品の洋服から外された商品タグ、出前を頼んだ時についてくる割り箸といったモノが部屋の中を埋め尽くしているということは無いだろうか。中国新聞網が伝えた。
こうした状況は最初、特別なケースだと思っていたが、ネット上で調べてみると、非常に良く見られる現象だということがわかった。こうした「行き過ぎた人」の中には、ファーストフードでよく見かける袋入りのトマトケチャップやインスタント麺に付いているスープの素まで、勿体なくて捨てられないという人もいるのだ。
勿体ないと捨てられずにたまっていく紙袋(資料写真・取材回答者)。
誰もが「シンプル極まる生活」を目指そうとしているのに、こうした人々はどうしてしまったというのだろうか?
飼い猫の毛まで集めるのは、すでに「病的」?
映画鑑賞が好きな人は多いが、ある一定の期間で観た映画の本数となるときちんと覚えていないかもしれない。しかし「90後(1990年代生まれ)」の陳皮さん(仮名)はその数をなんなく言うことができる。なぜなら彼女は映画チケットを全てとってあるからだ。
他の人は普通映画を見終わるとそのままチケットは破って捨ててしまうが、彼女はポケットに入れて持ち帰る。そしてファイルに種類別にきちんと整理し、これまでの「コレクション」を眺め、表面の印字がかすれて読めなくなってしまったチケットは捨てて、空白になった部分に新しいチケットを入れていく。
観光名所の入場券も同様だ。彼女は小さなノートにこうした入場券を挟み、栞代わりに使う。わずか1年間で、かなりの枚数が溜まったという。彼女曰く、こうしてとってある入場券にはいずれも特別な意味があるのだという。
彼女にとってこれらはもはや1枚の紙きれではなく、人生という旅における「記憶」なのだ。
驚くべきことに、陳皮さんは一時期「猫の毛」を集めた経験すらあるという。彼女は以前、1匹のブリティッシュショートヘアを飼っていたことがあり、猫の毛が生え変わる時期になると、小さなブラシで猫の毛を梳いてやるのが大好きで、あとでフェルトのおもちゃを作ろうと思い、抜けた毛をボールのように丸めて残しておいたのだという。
友人はそんな彼女について「これは病気。治療が必要」と冗談交じりにコメントしている。
とうとう自分の母親のような行動に
「ガラクタ」集めという点において、ついに自分の母親と同じようになってきてしまったとするのは、「85後(1980年代後半生まれ)」の王玲さん(仮名)。
食材を買ったときのレジ袋から新しく買った服からはずした商品タグまで、王さんはこれらをすっぱり捨てることができない。美容オイルが入っていた小瓶すらとっておくほどだ。
王さんは自嘲気味に、「これは遺伝なの。私の母親はこうしたガラクタをとっておくのが好きで、ギフト用の箱まで取っておく始末。小さな頃、私はそんな母親の様子を見て笑ったものだった。家の中はまるで『不用品回収ステーション』みたいだった」と続けた。
写真・ネットユーザーによる微博(ウェイボー)掲載画像。
彼女はここ2年ほど、スーパーのレジ袋さえも捨てなくなった。大きな袋に中くらいの袋を入れ、さらにその中に小ぶりな袋、その中にはもっと小ぶりな袋をいれ、きちんと積み重ねておく。レジ袋は台所に置き、紙袋は壁の隅に積み上げておく。王さんは、「こうやってとっておけば、ゴミを捨てる時に使えていいでしょ?」とつぶやく。
「ガラクタ集め」の道を突き進む人々
冷静に周囲を見渡すと、陳皮さんや王玲さんのような「ガラクタ」を集める若者が身近にますます増えてきているようだ。「85後」から「90後(1990年代生まれ)」の彼らにとって、ガラス瓶や紙箱まで、この世の中にとっておけないものなどないのかもしれない。
一部の若者は化粧品が入っていた箱など、見た目が優れた「ガラクタ」を好む。これらはちょっと手をくわえれば、実用的な収納ボックスとして活用することもできる。
また、使い古しのペンや乗車券、時期の異なる封筒など、これらを全て「生きてきたことの証」としてとっておく人もいる。
この他にも学生時代や研修時代の教材をとっておくのが好きな人もおり、これまで参加した様々なイベントの参加証などをとっておくのが好きという人もいる。
写真・ネットユーザーによる微博(ウェイボー)掲載画像。
モノを捨てられないというのは、彼らの親世代がいつもやってきたこと。「ガラクタ」をとっておくのが好きな若者たちや中年の人々、彼らは今、親世代が歩んだ道を突き進んでいるのかもしれない。
彼らはなぜ「ガラクタ」をため込むのが好きなのか?
国内のQ&Aサイト「知乎」に、「ガラクタを取っておく癖はどう治す?」という質問が投稿されたことがある。
この質問には、「ガラクタ・コレクション」の習慣と非常に良く似ており、「明らかにもはや不要と思われるモノなのに、まるで貴重な宝のように扱い、コレクションする。そして常に、いつかまた使うことがあるかもしれないと思い、捨てるのは勿体ないと感じてしまう」と続いている。
これもまた「ガラクタを取っておく」多くの若者の心の声なのかもしれない。
ここでの「ガラクタを取っておく癖」とは、冗談交じりではあるものの、その原因は実は深いところにある。これは中国的な生活哲学である「モノは最後まで使い切る」という考えにあるのかもしれない。以前は物質的に乏しく、伝統として倹約が美徳とされていた。そのため人々は今は使わないが、「この先もしかしたら役に立つかもしれない」モノならばとっておきたがり、それは例えば空のガラス瓶は花瓶として使えるかもしれず、端切れは衣類の継ぎ当てに役立つかもしれないといった具合だ。
このような生活哲学は、世代をこえて連綿と続いてきた。今日においてはそのスタイルが変わっただけに過ぎない。
または陳皮さんが言っているように、「ガラクタ」それぞれには人々の記憶が込められており、ひとつひとつの記憶もまた、人生の一部であるので、それらを集めていくことで、人生という大いなる旅路における自分という存在を描き出せるのかもしれない。(編集KM)
「人民網日本語版」2018年11月21日
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