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昆劇に魅せられて--心が熱くなる芸術--舞踏家・伊藤治奈さん (3)

「東風吹かば」

 -----そうした挫折や問題はどのように克服したのですか。

 とにかく自分の良さが生きる役柄や表現できる舞踏を自ら選ぶということで、この挫折を克服していきました。あとはやはり昆劇の魅力が私を中国に踏みとどまらせてくれました。

 昆劇には自分の人生ではありえない、違ったストーリーを演じられることにすごく魅力を感じました。とにかく昆劇の舞台に立ったときに、自分の頭で描いていたような演技ができ、かつ観客に喜んでもらったとき、至福を感じます。

 また北京生活で一度高熱が出てふらふらになってベッドに寝たきりになったときに、いつも掃除に来てくれる叔母さんが御粥を毎日作ってきてくれたり、周りの中国人が親身になって助けてくれたことも励みになりました。

 ------舞踏や昆劇をやる上で大事なことは何ですか。

 師匠でもある母がいつも言っていたことなのですが「すべてにおいて腰が大事」というように、踊りでも、昆劇でも腰が決まらないと、動きが決まらないんですね。私の場合は腰が決まっていないので、間が抜けた決まりになってしまっているのですが、腰がちゃんと決まれば、動きもしっかり決まります。なので、今もこれが課題になっています。人生においても腰が本当に重要だと思います。私はまだ腰がしっかりしてないせいか、なんとなくひらひらとさまよっているような感じがしますが、腰が決まれば私の人生も定まってくるのではないかなと思っています(笑)

 ■2年の予定が15年に 昆劇が「未練」

 -----北京に暮らしてすでに15年ですが、もともとは何年ぐらいの予定だったんですか。

 当初は2年ぐらいの計画で昆劇を習って帰国する予定でした(笑)。でも、中国に実際に来てみると、中国にも少数民族の踊りや古典舞踊といった多種多様な舞踏があることを知りました。やはりもともと踊りを習い続けてきたこともあり、ぜひ舞踏も習ってみたいと思い、中国舞踏学院の東方舞科本科生として4年間、アジア古典舞踊の全般(インド、韓国、日本、中国(古典、少数民族、敦煌、漢唐など)を習うことにしました。そして、そのまま15年が過ぎてしまいました。

 -----20歳の遊び盛りの時に来て、そこから15年間北京に暮らし続けているわけですが、何がそこまで長く伊藤さんを北京に留まらせているのでしょうか?

 そうですね。私自身もすごく不思議に思います。以前から自分自身にも問いかけてきたことなんですが、以前はその理由について、私は人かな?と思っていました。やはりこちらに15年もいるとお友達もみんな中国にいるお友達になってきますし。でも、最近実はそうではないんじゃないかなと思えてきたのです。

 それは何かというと、やっぱり私はこちらの昆劇だったりとか、少数民族の踊りだったりとか、踊りをしたいから私はここにいるんだと改めて思っています。日本に帰っても踊りはできるじゃない?ってよく母からも言われるんですけど、なぜ日本に帰れないかというと、こちらにある踊りは日本にはないんです。日本に帰ると、日本舞踊もあり、もちろんほかの洋舞、クラシックバレエも、ジャズダンスもありますが、例えば昆劇だとか、少数民族だとか、私が本当に心が熱くなるような踊りが日本にはないので、それが踊れなくなるというのはすごく寂しいなと感じます。踊りが何か未練になっている感じです。

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