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「思凡」 |
詩吟舞踊家の母を持ち、3歳の頃から舞踊を習い始めたという伊藤治奈(いとう・はるな)さんは、その後、ジャズダンスやモダンダンスなど西洋舞踏に引かれ、18歳の時にはダンサーになりたいという夢を胸に東京のダンススクールに入学する。しかし、身体的条件に恵まれなかった伊藤さんは、そこで自分に足りないものに気付かされ、夢と現実のギャップに悩む日々を送る。そんな頃、伯母さんに誘われて見に行った中国伝統芸能の昆劇「牡丹亭」との衝撃的な出逢いから、昆劇を習いに北京へ留学する決意をしたという伊藤さん。それから15年、今も北京で昆劇や少数民族舞踏に打ち込む伊藤さんに話をうかがった。
■人生を変えた昆劇との出会い
-----昆劇を習おうと思ったきっかけは何ですか?
能楽などの伝統文化に非常に精通している伯母がいるんですが、この伯母に誘われて19歳の時に日本で昆劇の舞台「牡丹亭」を見たのがきっかけです。
その頃、西洋の舞踊ばかり夢中になっていた私は、日本の伝統芸能に強く影響を与えた中国伝統芸能の昆劇がこんなにも内容が深い芸術であることを全く知りませんでした。表現の仕方もすごく繊細で、まさかこんなに奥深い芸術が中国にあるとは思ってなかったので、心の底から感激しました。また、改めて自分がアジアの伝統芸術について無知だった事に気がつきました。そして、アジア人なのにアジアの国の文化にまったく目を向けていなかった自分が恥ずかしくなり、アジアの文化が自分の踊りにとっての強みになるのではないかと思い始めました。
そこから、昆劇とは何かもっと知りたいという思いが湧き上がると同時に、中国の芸術を知ることで、アジア人である自分にとって何か強みになるものを得られるのではないかという期待が生まれて、伯母の勧めや人の縁もあって中国に来て昆劇を習い始めることになりました。
-----それまでは、詩吟舞踊と西洋舞踏を習われていたんですね。
そうですね。母が詩吟舞踊の家元をしていた影響もあり、3歳の頃から詩吟舞踊を習い始めました。
詩吟舞踊といってもなじみが薄いかもしれませんが、中国の漢詩、日本の漢詩、和歌に歌(吟)をつけて、それに踊りをあわせたものです。簡単に言うと、漢詩、和歌の内容を踊りで表現する芸術です。詩吟舞踊は「吟剣詩舞道」とも言われ、「道」を重んじており、男踊りの形式を取り、袴を穿いて踊ります。衣装もどちらかという簡素なものです。
その後、詩吟舞踏を続けながらも、成長するにしたがって、日本的なものよりも、ジャズダンスやモダンダンスなどの西洋舞踏に引かれていき、実際にそういった踊りを習っていました。
-----日本舞踊や西洋ダンスから一転、中国の昆劇に傾倒したというのは、どのような心境の変化があったのですか。
ずっとダンサーになりたいという夢を持っていて、18歳の時に東京のダンススクールに入学したのですが、ほかの方とのレベルの差を実感し、プロのダンサーになるには、身長が低いなど条件的にもあまり恵まれておらず、まだまだ自分自身に足りないものがあるということに気付かされて、現実と夢の間で色々と悩む日々を過ごしていました。
自分の中でも「このままでは駄目だ」「身体条件を補う何かが自分には必要だ」と感じていたので、NYに行ってより深くダンスを学んだほうがいいのではないかとか留学の道なども考えていました。
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