2014年1月30日  
 

中国の夢健康知恵袋 企画集 日本からニイハオ!

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日本の「無」文化からインスピレーション、画家・彤華さん (2)

 2014年01月30日11:06
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彤華さん

 ■日本語ゼロからの出発、「筆談」で交流

 当時の中国社会はどのようだったか?当時の中日交流はどのような状況だったか?

 当時、中国の経済全体が未発達で、生活水準・給与はとても低かった。留学手続き費用、初年度学費はいずれも、日本側の経済保証人の方に立て替えていただいたのを今でも覚えています。1年後にやっとすべてお返ししました。当時の中国人留学生は、高度に発達した高収入、高消費の国に留学することは、重い経済的プレッシャーと負担を背負うことを意味するから、この危機感のなかで懸命に学び、懸命にアルバイトし、懸命にお金を稼いでいました。

 あの頃は、非常に多くの中日両国の友好人士の皆さんは、中日国交正常化推進のために積極的な努力をされていました。私の日本側保証人の方もその一人でした。パンダ協会の会員をされていて、日本で書店を数十年営まれていたのを覚えています。優しく、喜んで人を助ける熱心な高齢のご夫婦でした。訪日前のわずか3カ月間、余った時間に日本語を勉強しました。初めて日本に着いたとき、日本人の方々と言葉がまったく通じなかった。でも漢字が中国人留学生にとって役に立ちました。新聞、街中、公共の場には至る所に漢字が見受けられます。最初にご夫婦宅にホームステイした頃は、いつも「筆談」で交流していました。

 ■初めての日本、礼儀に感慨

 初めての日本を、どのように感じられたか?周囲の環境(異国文化)は負担にならなかったか?両国の文化風習の違いできまりが悪いと感じたことは?

 訪日前に教材、映画、本を通じ、日本の状況はある程度理解していました。日本製の電化製品、国民の礼儀、山口百恵のしなやかさ、高倉健の格好良さ、「北国の春」、「昴」。たったこれだけでした。

 初めて日本に来て、最も印象深かったのは人々が公共秩序を遵守し、お互いに譲り合い、騒がないことでした。人は多いのですが、秩序があり、忙しく自分の事をされている。皆さん公共衛生に尽くしていらっしゃいました。

 日本語の最も簡単な言葉は「すみません」と「ありがとう」です。しかし実際の日常生活で、日本人は非常に「曖昧な」表現を心がけており、これには来日当初、少々戸惑いました。日常会話で聞かれる「すみません」は「ありがとう」よりもずっと多い。実際にはこれこそ日本文化の内面でした。
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