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日本の「無」文化からインスピレーション、画家・彤華さん

 2014年01月30日11:04
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 今回の人

 彤華さん。女性。北京の生まれ。画家、中国ファッションデザイナー協会会員。著名画家・張世簡氏、金鴻鈞氏にかつて師事。

 彤華さんは1984年、中央工芸美術学院職業大学班を卒業。1980-1988年、北京工芸美術公司でデザイナー。1988-1991年、中国雑技団でファッションデザイナーを担当、ファッションデザイン賞を数多く受賞。1992年初-1995年末、宮城教育大大学院を卒業。その間個展を3回開催、一部作品は日本の国際芸術展に入選し、日本各界・メディアの好評を博す。1996-1999年、日本TT2企画株式会社にて企画部長。

 2000年より、彤華さんは絵画創作に専念。現在に至るまで多くの作品が国内外友人、海外華人・華僑、関連機構にコレクションされた。作品は、日本、東南アジア、西アジア、ロシア、欧米など諸国・地域の人々に愛されている。

 彤華さんの多くの絵には、中国と西洋、具象と抽象が融合した独特の斬新な表現手法が用いられ、きめ細やかな絵画技法、優雅で生き生きした色彩により、中国伝統文化の吉祥寓意を表現している。現代ファッション芸術トレンドの息吹が感じられ、同時に中華民族の芸術の神髄も失っていない。記者は彤華さんの作品集を眺めながら、インタビューを始めた。

 インタビュー実録:

 ■デザイナーから留学生に

 日本留学を決意された理由は?いつ日本留学されたのか?

 訪日前、私は中国雑技団でファッションデザインの仕事をしており、全国、北京のファッションコンテストで多数受賞しました。当時はファッションデザインでさらに飛躍し、世界的に視野を広げることを夢見ていました。その頃ちょうど、友人に訪日を勧められました。それで慌ただしく3カ月日本語を学んだ後、日本へ留学しました。

 1992年年初から1995年年末まで、宮城県仙台市に留学しました。改革開放の流れのなか、当時の中国の若者は出国し、外国の先進的な科学知識・文化を学びたいと渇望していました。あの頃の日本は世界の経済大国で、また中国にもっとも近く、中国と同じアジア文化の国であり、当時は多くの留学生が日本を選択していました。
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