日本に完全に溶け込んだ中国文化
私は、「日本人は中国の文化が好き」というのは間違っていると思う。日本人は中国の文化が好きなのではなく、中国の文化を日本の文化に変えたのだ。そして我々は、それは元々中国の文化と言いたがるが、それも間違っていると思う。なぜなら、完全に変化して、日本の文化に溶け込んでいるから。それはもう日本の文化だ。
例えば、日本人は「三国志演義」がとても好きで、中国ではなく日本の歴史だと考えている。日本の歴史を遡ると、自然と古代中国にたどりつく。
また、「沢庵漬け」は、江戸時代に中国禅宗五家の1つである臨済宗の僧・沢庵宗彭が考案し、民間に広がり、日本人の生活の一部となったという説がある。現在、日本人の「沢庵」は中国に由来を発しているという必要もないし、沢庵と臨済宗を結び付ける日本人もいない。
日本は中国より変化が少ない
中国と日本を比べると、中国のほうが変化が大きいと、私は思う。
中国の文化は絶えず変化している。なぜなら、中国は歴史の中で、何度も王朝の交替を経験し、交代に伴って多くのものも変化してきたから。一方、日本では、古代から天皇が頂点に座し、それが覆されることはなかったため、一般人に対する影響はほとんどなかった。また、島国である日本は、文化が豊富とは言えず、1つの物を細かく研究し、大切にする。例えば、漢方薬の服用量は、中国のそれよりずっと少ない。日本では、腸を刺激すると言われているが、私は、漢方薬が中国から輸入されるため、値段が高く、量を減らすしかないのだと思っている。そのように、生活の至る所で、細部まで気を配るようになる。
これが、宋の時代の多くの生活文化が中国では消失してしまったのに、日本では残っている原因である。
日本人は中国の歴史が好き
日本にも、「清明上河図」で描かれているような、繁栄した時代、江戸時代(1603–1868年)があった。当時の江戸は、人口100万人前後に達しており、世界最大の都市となっていた。しかし、1179年に終わった中国の宋の時代とは400年以上の差がある。
「清明上河図」に描かれている「虹橋」を見ると、私は江戸時代の「江戸橋」を思い出す。「浮世絵」などに描かれている橋もとても繁栄している。日本の「浮世絵」は当時の繁栄した一般市民の生活を映し出している。また、張択端のように、彗星のごとく現れて消えた浮世絵師・喜楽もいる。
日本では「三国志」を題材とした作品も多い。日本人が中国の文化をテーマにするのはとても自然なことだ。日本人は登場人物である諸葛亮が好きなのに対して、中国人は劉備が好きな人が多い。このように、中国の文化が日本に伝わり、日本の文化へと変化しているため、私は日本に来て、日本の文化を見るととても親しみを感じる。しかし、それらは昔の文化であるため、日本人が今の中国に行っても親しみを感じない。