浙江省の南西部の山地にある麗水市で、1942年と44年、旧日本軍が細菌戦を展開し、サルモネラ菌、ペスト菌、炭疽菌などをばらまいた。同市の資料局では現在、生存者の調査表や動画を見ることができる。うち、朱秉仁さん(87)の動画を見ると、「祖父や両親、弟、妹、そして私の家族8人が、旧日本軍がばらまいたペスト菌に感染し、私だけが生き残った」と、70年前のつらい経験を、涙ながらに語っていた。新華網が報じた。
同局の統計によると、被害者の数は1万3千人。現在、生存しているのは200人以下だ。
2013年8月、同局は複数の政府機関と共に、生存者の記録を残す業務を開始した。同局の陳鴻斌・局長は、「資料部門の職責は、歴史を記録すること。そのため、旧日本軍の細菌戦の被害者が経験を語る様子を動画できちんと残す義務がある。今のうちにしておかなければ、世代交代が進むにつれ、歴史が単なる伝説になってしまう可能性がある」と語る。
約半年間で、同局は全市1区・8県に住む生存者193人のアンケートと動画撮影を完了させた。同局業務指導処の趙志龍・処長は「生存者のほとんどが高齢で、標準語の中国語を話すことができない。そのため、調査において、市・県の資料部門のスタッフを派遣すると同時に、郷・鎮の幹部やボランティアに『通訳』を担当してもらわなければならない」と語る。
同局で見ることができる調査表には、生存者の身分証明書番号や署名、拇印が記されているほか、調査担当者の身分証明書番号や氏名も記されており、その厳粛さが示されている。趙処長によると、麗水検験検疫局は、一部の生存者の健康診断も実施し、その結果を資料として保存しているという。
第二次世界大戦期間中、唯一細菌兵器を大規模に使用した日本は、中国の吉林省や浙江省、湖南省、雲南省、山東省などで細菌戦を展開した。うち、浙江省は、細菌戦の被害が大きかった地域だ。
13年7月、同省義鳥市の資料、衛生、ラジオ、テレビなどの部門も、被害者31人を確認。口述資料などをまとめた。
同市資料局の徐義民・局長によると、今後、ペスト菌被害が大きかった同省江湾郷崇山村を中心とした、関連の書籍を編纂するほか、同村の「記憶館」も建設する。「これまでの細菌戦の被害者調査業務では、民間人が多くの労力を払った。資料部門にも、同業務を進めていく、職責と義務がある」と徐局長。
また、「別の省・市の資料保存担当者と協力し、当時の細菌戦の真相を暴きたい。貴重な資料の展示業務も強化したい。上海のユダヤ難民記念館に行ったことがあるが、同館の経験は参考の価値がある」と語った。(編集KN)
「人民網日本語版」2014年3月20日