▽実体験によって相互理解を促進
尾形氏は当初から国際交流事業を志望していたわけではない。だがこの道に入ったのには、氏が身に付けていた「グローバル」な思考法が影響している。1944年生まれの尾形氏は大学卒業後、船舶機械の輸出に従事し、シンガポールや欧州でも数年にわたって勤務した。こうした海外勤務の経験は、国際交流事業に従事するきっかけとなった。海外で勤務・生活している間、尾形氏はさまざまな国の人々と知り合い、異なる国の文化や考え方を知った。そして個人が社会を離れて生きていくことができないように、いかなる国家もこの世界で単独で存在することはできないという認識に至った。安定した秩序ある国際社会を交流によってともに築くことの重要性を知った尾形氏は1986年、日本財団傘下の笹川平和財団に入り、国際交流の分野に正式に足を踏み入れた。
交流活動にどのような成果があるかについて、尾形氏は、最大の効果は、交流活動参加者が自分の目で相手国を見、相手国の風習や人情を自ら知ることにあると語る。情報伝達で大きな役割を果たしているのはメディアだが、相手国の事情をそっくり完全に映し出すことはできない。中国のテレビ局が放送する抗日ドラマは日本のマイナスイメージを深めているし、日本のテレビ局が流す中国と韓国のネガティブなニュースも日本人のこれらの国の印象を左右している。
尾形氏によると、主権問題や歴史問題の解決が難しいのは、世論の影響が関係することが多いからだ。こうした問題を解決するには、世論を形成する人々ができるだけ多く相手国を知ることが必要となる。すべての中国人を日本に招くことはできないが、各分野で影響力を持つ人に日本での実体験を語ってもらうことは有効な手段となる。日本は高度経済成長期、日米貿易で大きな黒字を出し、米国の「反日感情」を誘発した。当時も民間交流で相互理解を促すことが重要となった。日本財団は交流基金を通じて米国の関係者を日本の工場の視察に招き、日本の産業発展の状況を知ってもらい、日本への理解を広める後押しをした。