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日本に帰化した中国人ソフトボール選手、日本代表監督に再任

人民網日本語版 2015年02月27日08:15

日本ソフトボール協会は、このほど女子ソフトボール日本代表監督に宇津木麗華氏を再任命した ことを発表した。1963年、北京で生まれた宇津木氏の本来の名前は任彦麗だった。かつて中国女子ソフトボール代表チームのキャプテンを務め、1986年の世界女子ソフトボール選手権で準優勝に輝く快挙に大きく貢献した。1988年、任氏は日本へ渡り、日立高崎(現ルネサス高崎)女子ソフトボール部に加入した。しかし、抗日戦争(日中戦争)に参加したことがある任氏の父親、任位凱氏は娘の決断に反対した。さまざまな苦難に耐えながら、任氏は日本のスポーツ界で業績を残した。1995年、任氏は日本に帰化し、名前を宇津木麗華と改めた。宇津木氏は、「日本名に入れた『華』という字に、祖国への思いが込められている」と語る。

■15歳の時、日本人との友情が始まる

任氏は中学生の時に、その腕力を買われ、女子ソフトボール北京チームに選ばれた。後に、実力が認められ、ナショナルユースチームに入った。1972年9月29日、中日双方は「共同声明」に署名し、中日の国交が正常化した。1978年、中日両国間でソフトボールの親善試合が行われた。後に、女子ソフトボール日本代表監督を務めることになる宇津木妙子氏は、当時日本チームの主力選手だった。

任氏は、「当時の日本女子ソフトボールチームの選手たちは皆背が低く、正直我々は日本チームをみくびっていた」と語る。しかし、宇津木妙子氏は当時中国チームの最も優れた投手に対して、正面を鋭く抜くヒットを放った。当時、15歳だった任氏は、宇津木妙子氏のバッティングに対し尊敬の念を抱いた。


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