4日の全人代記者会見での中日関係に関する一問一答は考えさせられるものだった。NHKの記者が中国の王毅外交部長(外相)に「日本国民の多くは、中国が歴史問題を利用し、日本のこれまでの世界平和への貢献に対する評価を引き下げ、日本の国際評価に傷をつけようとしているのではないかと感じている。中国が大国として寛容な心を持つならば、対日政策を見直すべきではないか」と質問したのだ。(文:葉小文・本紙特約論説員、新中日友好21世紀委員会中国側委員。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
この質問は右翼政治屋を始めとする日本の一部の悩みの種を示している。
本来今年は中日が共同で歴史を鑑とし、未来志向の新局面を共に図るチャンスの年だ。「大国の大きな度量」は本来、ファシズムに反対し、世界平和を守るとの世界の共通認識の上に体現され、両国民が同じ側に立って、歴史を改めて考え、歴史の重荷を下ろすよう促すものであるはずだ。だが日本の一部の人のやり方は人々を混乱させるものだ。第1に、歴史問題を前にするや地団駄を踏み、「歴史問題を武器として利用し、日本を低く評価する」と逆にかみつく。第2に、歴史問題を前にするや「愕然」とする。日本の安倍晋三首相は1月29日の衆院予算委員会で、米国の歴史教科書が南京大虐殺を記載している件について「愕然」としたと表明した。第3に、歴史問題を前にするやごね始める。いわゆる「安倍談話」は「植民地支配」「侵略」「おわび」といったキーワードを回避する可能性が高い。安倍首相は談話の重点について「今まで重ねてきた文言を使うかどうかではなく、安倍政権として70年を迎えるにあたりどう考えているかということだ」と述べた。侵略の歴史を美化し、罪を覆い隠して初めて日本は明るい未来へと歩むことができるかのようだ。
王部長は「歴史問題に言及されたが、この問題は常に中日関係に影響をもたらしてきた。したがってわれわれは、その原因は一体どこにあるのかと聞きたい。私はこの問題についての、中国のあるベテラン外交官の主張を思い出す。彼は加害者が自身の責任を認識するほど被害者の傷の回復が可能になると考えた。この言葉は、人間同士の正しいつきあい方だけでなく、歴史問題に対する正しい態度をも示している。日本の今の政治家が、この問題においてどのような態度をとっているか、まず胸に手を当てて考えていただきたい。世論はおのずから公正な判断を下すだろう。70年前、戦争に負けた日本が、70年後に再び良識を失うべきではない。歴史の重荷を背負い続けるのか、過去を断ち切るのか、最終的には日本が選択しなければならないことだ」と述べた。