ポスト「スラムダンク」と称される「黒子のバスケ」(2008)は、現代の日本の熱血アニメを非常に良く表している。あるいは、現代の日本における「強さ」の定義を示していると言える。その理由は、主人公のキャラクターの設定に隠されている。
一つには、主人公の黒子哲也は極めて影が薄い人物だという設定にある。黒子は自分の存在感のなさを利用して、チームの中継役を務め、他のチームメートにパスを出すことに徹する。
二つ目には、黒子の目標は自分が「日本一」になることではなく、米国から帰国したチームメート、火神大我を「日本一」にさせるというものだ。事もあろうに、このように存在感がなく、特別な才能もほぼなく、野心や志にも欠けたキャラクターが熱血漫画・アニメの主人公なのだ。
「黒子のバスケ」は漫画だけでなく、アニメも広く人気を博した。しかし、このことが、日本が弱音を吐いたことを証明していると言えるだろうか?むしろその逆なのではないだろうか。よく観察してみると、一見したところ、控えめで、影が薄く、単に他のチームメートの背後でサポートに回る黒子哲也は非常に軟弱で無力に見えるが、実際には黒子はチームメート全員を結ぶ中継役となっている。もし黒子がいなければ、チームが常に勝利を得る可能性はほぼ失われてしまうだろう。黒子がほかのチームメートに依存しているのではなく、他のチームメートが黒子に依存しているのだ。