中国の古典籍が日本に渡った歴史は古く長い。遠い昔の唐の時代、日本は大勢の遣唐使や留学生を中国に派遣した。中国文明を学ぶほか、更に大量の中国の古典籍を購入し、日本に持ち帰った。日本の気候は穏やかで、貴族や寺院は古典籍を適切に保護しているため、中国じゅうどこを探してももはや見当たらない多くの貴重な古典籍が、日本では完全な状態で保存されている。城市快報が伝えた。
長い間、中国文化は日本文化の発展に大きな影響を与えてきた。しかし明治維新の頃になると、日本社会は全面的に西洋文化を学び始めた。日本国内において公的、私的に収蔵されていた書籍も次々に中国の古典籍から西洋の書物に取り換えられ、一部の貴重な中国の古典籍は民間に流出し始めた。これはあちこち古典籍を訪ね歩いている中国人蔵書家にとっては実際のところ千載一遇のチャンスであり、それによって多くの中国文化の著名人が日本で古典籍を収集するという考えを持った。
清の末期から民国時代の間、書物を求めて日本を訪れる人のうち、最大の収穫を得たのは清の時代の外交官であり金石学者、目録版本学者、古典籍収集家でもある楊守敬氏だと言える。楊氏が日本にいる時、何とかして珍しい古典籍をたくさん取り戻し、その多くは中国ではすでに散失したレアな善本だった。このほか、彼は転写する人を雇い、一部の貴重な書物の書き取りを日夜行わせた。1888年、楊氏は非常に貴重な六朝時代から唐の時代の転写書籍や宋元時代の古典籍など日本で探し出した3万冊余りの貴重な古典籍を中国に持ち帰った。