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「米国がビビってる!」 人民網、ネットに蔓延する大仰な文章に警鐘鳴らす

人民網日本語版 2018年07月04日09:09

一つの文章に対する評価は、現実を反映しているか否か、社会を的確に観察しているか否かによって決まる。文章のスタイルがあまりにも大仰で誇張されていたり、刺激的なタイトルであったり、事実とは似て非なる内容だった場合、読者を冒とくしているだけでなく、発信する価値も無く、世論という生態を汚染するだけの存在でしかないといえる。人民網が伝えた(文・林峰)。

最近、「米国がビビってる!」や「日本がビックリ仰天!」、「欧州が後悔しまくり!」といった類の文章がネットに蔓延しているばかりでなく、不思議なことにそのアクセス数も少なくない。しかしながら、こうしたいわゆる「超人気」な文章をよく見てみると、その中身に目新しい内容は見られず、懸念を抱かせるような内容ばかりとなっている。例えば、誇張され、偏りのある見方に基づいて全体を語りながら、「この分野において中国は多くの『世界一』の記録を打ち立てた!これについて異を唱える者は誰もいない」と声高に主張している文章。または、勝手気ままに話題として祭りあげ、不注意な発言をしながら、「恐れる必要はない!中国の科学技術力は米国を凌ぎ、今や世界一」と吹聴する文章。さらには、独りよがりな考えから、額面通り受けとめ、海外のちょっとした言葉に対して、「中国は世界という舞台の中央に立った」や「中国は今や世界トップの経済大国」と過大評価する文章などだ。

こうした「偉大な文章」には、「事実が無く、内容も無く、思想も無い。あるのは取り繕った上っ面だけ」という共通点がある。文章というものは、大袈裟な表現によってその輝きが増すことは無い。同様に、国家も自らを誇張することで強くなることは無い。極端に感情的で、偏見に基づいた文章を見境なく発信することで、大衆を身の程をわきまえずに尊大で自画自賛して高慢にさせるといったような錯覚に陥らせ、社会を情報の断片化や思考のプログラム化といった認識のクローズド・ループに陥らせることになりかねない。

マスコミ学においては、「最も優れた編集者はきっとマーケティングの専門家でもある」という見方があるように、一部のメディアにとって、大仰で尊大な文章のスタイルは、確かに人目を引き、読者を増やすための風船のような存在だが、それはちょっと触れただけですぐに破けてしまう。この種の文章を創作した作者にとって、タイトルとはエサをつけた釣り針にほかならず、「刺激」というスパイスを加えなければ、人々の食欲をそそることはできない。しかし、ニュースはライトノベルではない。マーケティングだけを重視してその内容をおざなりにし、人目を引くことばかりを重視して責任について考慮しなかった場合、たとえ一時は時流に乗ったとしても、人々を誤った方向へ誘導してしまうことになる。

あるネットユーザーは、「個人メディア時代に入り、ニュースは増える一方だが、真相からはますます遠のいている」と嘆いている。確かに大仰で尊大な文章スタイルは一見すると「アクセス増加」の近道のようだが、実際にはニュース作成を誤った道に導く岐路にもなっている。統計データによると、昨年ニューメディア業界関係者の数は300万人を超え、コンテンツクリエイターに対する各種機関からの投資総額は50億元(約830億円)を上回っている。しかし個人メディアが自由な創作を望む以上、自己を厳しく律することが求められる。無制限に話題を祭り上げ、言いたい放題ともいえる情報を発信するならば、道徳を踏み外し、法の道に背く結果となり、人々の認識にとって害となるばかりか、さらにはメディアに対する信頼を失わせる結果となるだけだ。

オムニメディア時代においても、真実に基づいた客観的なニュースという基準は変わっておらず、目新しく興味深い質の高いニュースに対する価値も変わってはいない。そして誠実で事実を重んじた実際的な文章スタイルという方向性も変わっていない。そのため、文章の作者が自らを律して自覚し、文章スタイルと社会の気風を結び付け、アクセス数と感情的なしがらみを解き放ちさえすれば、本当の意味で堂々として自信あふれた文章を生み出すことができるだろう。

ニュースは事実と真相と正しい道を語るべきであり、いささかの偽りや誇張もあってはならない。受けを狙って、わざと虚言を弄したり、大仰な言い回しで注目を集めようとするやり方はやめるべきだろう。(編集KM)

「人民網日本語版」2018年7月4日

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