日本の大雨特別警報は8日午後に全て解除されたが、被災者が通常の生活に戻るまでにはまだかなりの時間がかかりそうだ。
岡山県倉敷市は人気の観光名所であり、南北に「高梁川」が、東西に「小田川」が流れ、本来ならば美しい景色が広がる観光地だが、一夜にして跡形もなくなってしまうほどの災害に見舞われた。住宅の2階の窓の所にまで残った冠水の跡がその浸水の深刻さを物語っている。暴雨による甚大な被害を被った倉敷市の一部の地域の住民は全員が避難生活を送っている。
同市で暮らして約3年になる中国人留学生の王さん一家は、7日未明から早朝にかけて川の堤防が決壊した当時、ほかのほとんどの住民と同じく、ほとんど何も持たないまま慌てて避難したという。
「初めは地震かと思った。パジャマ姿のまま家を飛び出し、車で避難所に移動した。だから今着ている服は買ったばかりの服」と王さん。
ここ数日、王さんは両親と共に避難所で過ごしており、飲食など最低限の生活は保障されているという。水が引いたため、王さんは家に戻り、使えるものを持ち出したいと考えたそうだが、一歩足を踏み入れた瞬間、目の前に広がっていたのは、持ち出せるものがまだあるのかすら分からないほどの惨状だった。
王さん一家にとって、今回の災害で異国の地でようやく立ち上げた生活が再びめちゃくちゃになってしまった。今は、いつになったら家に戻れるのか、家が再び住める状態なのかも分からない状態だという。雨は上がり、青空は戻ったものの、いつになったら通常の生活に戻れるのか分からず、途方に暮れている。
周辺の住宅も足を水につけた状態ならば、なんとか入っていくことができるものの、それ以上先の低地は水深が深くなっているため、ボートに乗らないと近づくことはできない。浸水したある住宅に入り、タンスの中で泥まみれになり湿っている服を手にして初めて、今回の浸水被害が日常生活に与えた影響の大きさと復興の厳しさを感じることができる。
それでも避難できた人はまだ幸運と言える。なぜなら8日時点で、倉敷市ではいまだ1000人以上が孤立して救助を待っている状態であり、真備町の「まび記念病院」には、患者ら300人以上が一時取り残されていた。現在は水が少しずつ引き、救助活動も続けられている。今回の暴雨では11府県で大雨特別警報が発令された。浸水や土砂崩れなどの被害が深刻だった地域は、倉敷市のような小都市や辺鄙な地域がほとんどだった。
こうした地域で、防災から警報、避難、救援までをいかに有効に実施するかは、解決が急がれる重要な課題となっている。大雨特別警報が解除された後も、日本の気象庁は、土石流や土砂崩れなどの災害に引き続き警戒するよう呼びかけている。(編集KN)
「人民網日本語版」2018年7月10日
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