当初は、自分ひとりで撮るような小規模な映画作りを頭に浮かべていた。しかしやがて、奥原監督の中にある変化が生まれる。「人との会話を通して、中国のベストセラー作家の何人かは、初版の段階で100万部以上だと聞き、それは単純にすごいなと思った。そのあたりから、中国の13億人という大きさ、広さ、人の数を実感として持ち始めた。そして、それにチャレンジしてみたいという思いが生まれた」。
その後のステップとして、中国の撮影現場を見るため、知人のマレーシア系中国人、林家威(リム・カーワイ)監督の現場に照明技師として入る。「中国の撮影を見たら、とても自由だった。たとえば、電車の中でも、許可を取らずに役者を連れ込んでゲリラ撮影する。三脚を使って車内で本格的に撮っていても、通りがかりの車掌は何も言わない。弁当を売ってたお姉さんに、『君ちょっとそこに座ってて』と言ったら、何も言わずに座って、『もう終わったからいいよ』と言うと、また何も言わずに弁当を売り始める。こんなことが許されるんだとびっくりした。そういう自由な発想の映画作りを見ているうちに、自分でも撮りたくなった」。この刺激的な経験から、奥原監督は当初より、もう少し規模の大きい作品を念頭に、再度脚本を練り始める。
■言葉もわからず、よく知らない街に取り残された感覚から異色のSFラブストーリーが生まれる そこで生まれたのが「黒四角」だ。この脚本には奥原監督自身の経験が活かされている。「北京に来てわりとすぐにアーティスト村と言われている宋荘へ遊びに行った。知り合いと一緒に行ったのだが、その人は先に帰ってしまい、自分一人取り残されて、いつの間にか得体の知れない飲み会に参加させられていた。言葉もわからない上、日本とはまるで違う場所だし、その感覚がすごくSFぽく感じた。宋荘は、一見、ごく普通の郊外の農村だが、音の伝わり方とか、街頭の感じとかが、アメリカのスティーブン・スピルバーグが撮るSFではなく、アンドレイ・タルコフスキーのロシア映画を彷彿させるSFの感覚だった。そのようなふとした瞬間に感じたいろんな積み重ねがあって、SFを作りたいという思いが生まれた」。
■中国では戦争と今生きている世界が直接的につながっていることを意識させられる 「黒四角」は異なる時空間がパラレルワールドとして呼応し、まるで2本の映画を見たように作品の印象をがらりと変える。表面上に見えるものと、その内側に潜んでいるものが全く異なる中国の多面性を象徴しているかのようだ。前半はアーティスト村・宋荘に住む売れないアーティストとある日突然、空間に現れた「黒四角」から抜け出てきた謎めいた男「黒四角」との交流がユーモラスかつシュールに展開する。しかし、後半は一転、60年前の悲惨な戦争の記憶にまつわる切ないラブストーリーへと変転する。
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