ペルー大学やベネズエラ大学で長年教授を務めていた高橋敷氏は、自著「みにくい日本人」(1970年)で、海外生活の体験を基に、日本人の弱点を容赦なく指摘した。例えば、日本のトイレは汚い、日本人はごみをポイ捨てする、動物園では注意を無視してキリンにエサをやるなどだ。(文:楊恒均・時事評論家。新華網掲載)
「みにくい日本人」に描かれるさまざまな状況は、今の日本ではなく、中国やアジアの多くの発展途上国で起こっている状況だと感じた。
特筆すべきは、高橋氏が同書を出版した当時、日本で大バッシングが巻き起こったものの、日本人のマナーの悪さはその頃から改善され始めた点だ。おもしろいことに、日本に近い台湾の作家・柏楊が1985年に、同書を模倣した「みにくい中国人」を出版したが、台湾のマナーもその頃から改善し始めた。1994年には、韓国の作家・朴泰赫が「みにくい韓国人」を出版した。同書も明らかに「みにくい日本人」の影響を受けている。
この「みにくいシリーズ」3冊が出版されたアジアの3つの国と地域が、いずれも民主主義が転換し、社会の風紀が好転し、国民の民度が大幅に向上しつつある時期を迎えていたというのは、非常に興味深い。
「みにくい中国人」では、「中国人はどこに行っても、やはり『みにくい中国人』で、マナーの悪さは改善できない」と書かれていたのを覚えている。私は、この言葉は公平さに欠けると思う。本質はそう簡単に変わらないが、多くの悪習は環境や制度によって変えられるものだ。
日本にある古墳時代(250年頃–600末頃)の詳しい記録と中国の同時代の記録を比較すると、政治や経済、文化、技術などにおいて、日本は中国に大きく後れを取っていた。しかし、19世紀後半の「明治維新」により、形勢が逆転し、日本はわずか十数年で近代社会へと突入した。(文章は作者独自の観点であり、当サイトの立場を代表するものではありません)(編集KN)
「人民網日本語版」2014年5月12日