▽過去を悔いた日本人元兵士が資料収集を手助け
司会者:展示物の収集にはどのようなルートを使ったのですか。
樊建川:日本に到着後、複数の経路をたどって資料収集を行いました。まずは、日本で商売をしている華人の手助けです。次に、骨董商や留学生の助けも借りました。一番重要なのは、中国侵略日本軍の元兵士、塩谷保芳さんのような人が助けてくれたことです。私は2、3カ月前にも、塩谷さんを訪ねに東京に飛びました。塩谷さんから会いたいという手紙をもらったためです。
塩谷さんはかつて、中国侵略日本軍の兵士として山東省で侵略戦争に参加しました。しかし彼自身は、兵隊になりたくも戦争に行きたくもありませんでした。戦争に行く前、右手の人差し指がなければ銃の引き金を引けず、三八式歩兵銃も使えなくなると聞いて、酒を飲んでから人差し指を刀で切り落としました。しかし酔っていた塩谷さんは、間違って右手を使って左手の人差し指を切り落としてしまいました。徴兵係官に、引き金を引くのは右手だから大丈夫だ、中国に行けと言われ、仕方なく中国にやってきたそうです。
その後、戦争時の行動を塩谷さんは後悔し続け、数十回にわたって中国に懺悔に訪れました。私達の博物館にも7、8回来ていただきました。当時もう80歳過ぎになっていたが、旧日本軍の鉄兜や軍装、軍靴など中国侵略日本軍に関連する物品を背負ってやってきて、いつも頭を下げて懺悔なさったものでした。その塩谷さんから会いたいという手紙をもらい、私は日本に飛びました。もうベッドから起き上がれなくなっていた塩谷さんは、私を見てとても嬉しがり、私の手を引き、涙を落とされました。塩谷さんのような良心的で心から悔いた日本の元兵士も、私の日本での資料収集を導き、助けてくれました。