この写真に写っているのは、後ろにあるこま犬のことを説明した説明表示板だ。上の方に「中国から運ばれた」ということが書かれているが、当時の略奪の経緯については触れられていない。
「77年前の7月7日、日本は中国で盧溝橋事件を引き起こした。その後、天津市を襲撃する中で、旧日本軍は当時の天津市庁舎の前にあったこま犬を略奪し、戦利品として日本の大阪に持ち帰った。このこま犬は日本の軍国主義の罪証だ」。
7月5日午後、日本の市民団体が大阪城西の丸北門の外側にある純白の大理石でできた1対のこま犬の前に集まり、「7・7盧溝橋事件77周年—大阪城のこま犬前で不戦を誓う集会」を開催した。上の発言は主催者である伊関要さんのものだ。
こま犬は中国の明の時代に彫られたもので、1937年に中国侵略日本軍が戦利品として日本に持ち帰った後、大阪に所蔵されてきた。82年の大阪城築城400年に際し、大阪の市民団体が日本の侵略戦争の戦利品であり、中国に返還すべきとの見方を示すと、それから半年あまりで、関連団体が1万5千人分もの署名を集めた。日本の人々がこま犬の返還を求めた正義の行動を鑑みて、在日本中国大使館はこれを中日友好のシンボルとし、大阪市に寄贈した。
だが、こま犬の説明表示板には「中国から運ばれた」ということが書かれているだけで、かつての略奪の経緯については触れられていない。伊関さんが率いる市民団体は、関連部門が略奪の事実を隠蔽しようとしたものであり、日本人として恥ずかしいとの見方を示す。この団体は今年5月22日、大阪市長と大阪市議会議長に陳情書を提出し、説明表示板の変更を求めた。
5日の集会当日は小雨がそぼ降る中、40人の誓い参加者が日本の侵略戦争の犠牲になった中国人の人々に1分間の黙祷を捧げた。