旧日本軍の性奴隷制は、数十万に上る中国人女性に耐え難い苦難をもたらした。蘇院長は、1910年に小崑山で生まれた朱巧妹さんの事例を取り上げ、詳しく紹介した。1928年に結婚した朱さんは、上海商務印書館で製本工として働いていた。1932年、旧日本軍が商務印書館を爆撃、破壊したため朱さんは失業、崇明廟鎮に疎開し、「永興館」という小さなホテルを経営して生計を維持した。1938年春、旧日本軍が崇明を占領、現地の女性7人に「慰安隊」のメンバーになるよう強制した。不幸にも旧日本軍の「性奴隷」となった朱さんは、1939年に旧日本軍が崇明から撤退するまで、慰安所で働かされた。旧日本軍の野蛮極まる行為によって、朱さんは深刻な婦人病を患い、精神的にも深い傷を負った。2005年2月20日、朱さんは崇明の自宅で、病気で息を引き取った。享年95歳だった。
「慰安婦」問題が浮上したのは、1990年代初めだった。各国からの圧力を受け、1993年8月4日、河野洋平内閣官房長官(当時)は談話を発表、「慰安婦」制度によって、数多くの女性が心身にわたり癒やしがたい傷を負ったことを認め、日本政府からの心からのお詫びと反省の気持ちを表明した。この「河野談話」は、「慰安婦」問題に対する日本政府の基本的な立場を代表するものとなった。だが、その後、日本政府の一部の右翼的な官僚は、さまざまな場所で、理解しがたい談話を発表し、「慰安婦」という歴史的事実を否定し、史実を捻じ曲げようとしたため、「慰安婦」問題は、日本とアジア近隣諸国との間に残された歴史的問題となった。
「日本が今もなお、旧日本軍が作った性奴隷制という非人道的な犯罪行為に対して、深く反省している様子が見られないことは、本当に残念なことだ」と蘇院長は語った。(編集KM)
「人民網日本語版」2014年8月12日