2014年9月3日  
 

中国の夢健康知恵袋 企画集 日本からニイハオ!

Apple新浪騰訊人民LINE微信RSS
人民網日本語版>>中日フォーカス

元外交官の李宗恵氏「中日交流は歴史を鑑とし、時代とともに変わるべき」 (2)

人民網日本語版 2014年09月03日16:02

天津生まれの李宗恵氏は、日本軍占領下の辛く苦しい生活を経験している。日本人の穀倉で働いていた李宗恵氏の母は、トウモロコシを「纏足」の中に隠してこっそりと家に持ち帰り、粥を作って飲ませてくれた。また、日本の歩哨の前を通るたび、日本人に向ってお辞儀をしなければならず、しなければ殴られた。「当時を知る中国人は皆、日本に対して複雑な感情を抱いている」。

李宗恵氏が日本の地に足を踏み入れたのは1984年のことだ。人民大学日本語学科で教鞭をとっていた李宗恵氏は、在日本中国大使館の教育外交官に任命された。その前年の1983年、中日は「平和友好、平等互恵、長期安定」の中日関係三原則に「相互信頼」を加え、日中関係の四原則とし、両国関係も徐々に回復しつつあった。

李宗恵氏はそれから10年間にわたり外交官として働き、その後も日本で中国語教師として働いた。計12年にわたる日本滞在で、47都道府県全てを訪れたという。「もし人の一生を一週間に短縮するならば、そのうちの1日間を丸々日本で過ごしたことになる」と語る李宗恵氏は、「中日関係の変化の全過程を目にしてきた」と自負する。

現在、中日両国政府の関係は冷え込み、国内の主流テレビ局でも刺激的な抗日ドラマが繰り返し放送されている。そんな中、中日友好を主張する李宗恵氏は、多くの人にとって「異質な存在」だ。


【1】【2】【3】

関連記事

コメント

最新コメント