2014年12月4日  
 

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人民網日本語版

書評『習近平氏、国家統治を語る』

――ヘルムート・シュミット(元ドイツ首相)

 2014年12月04日10:19

最初に中国を訪れたのは1975年だった。そのときから中国の内政・外交には巨大な変化が生じた。私はこの数十年のあいだ何度も中国を訪問しているが、中国の5000年に及ぶ悠久の文明にはたいへん心をひかれる。そして、習近平のこの本からも得るところが大であった。

2012年5月、私は北京で初めて習氏にお目にかかった。半年後の2012年11月、習氏は中国共産党中央委員会総書記に選出された。彼が就任してからの2年間を観察していっそう深く理解できたのは、過去40年間に中国の上層部の政治家の利害関心と視角にきわめて大きな変化が生じたこと、また同時に、中国の内政・外交上の伝統が堅持されていることだった。

古代エジプトなどのいわゆる古代文明国と比べると、中華文明は5000年のあいだ連綿と絶えることなく続き、しかも今でも活力に満ちている。儒教思想に代表される中国の伝統は少なくとも1000年余り支配的な地位を占めてきた。それは中国には全国民に影響を及ぼすような大一統の国教がないことを意味しており、道教、仏教、ヒンズー教、キリスト教、イスラム教はここでは仲良くそれぞれの影響力を発揮してきた。王侯による権力争いはあったが、宗教が重要な役割を果たすことはかつてなかった。たとえモンゴル人や満州人が中原を占拠しても、このような局面に抵触することはなく、モンゴル人や満州人は逆に自らの統治を漢族の伝統に順応させ、溶け込んでいった。

15世紀には、中国の文明の発展は造船でも印刷でも軍事技術でも、すべて世界トップであった。一方、当時ヨーロッパの工業化は萌芽期にあり、北アメリカもその後に従った。19世紀、ヨーロッパ列強は中国を完全に占領してはいなかったが、すでにいわゆる租界を設けており、英国、フランス、スペイン、ポルトガルはその中で先頭を切っていた。ドイツもその中に加わった。19世紀に中国は暫定的な挫折をこうむり、弱体化していった。日本が20世紀に中国に対して進めた大規模な殖民によって、中国は塗炭の苦しみに陥った。孫中山(孫文)らの長年のたゆまぬ努力によって、中国は外国の強権から脱し、中国人民は1949年ついに毛沢東の指導下に勝利をとげ、新中国を建国した。毛沢東は当時の中国のまぎれもない政治的領袖であり、今日の中国は毛沢東の打ち固めた基礎の上に築かれた。

しかし、毛沢東は非常に大きな過ちを犯した。特に1950年代、60年代の「大躍進」と「プロレタリア階級文化大革命」がそうである。1976年に毛沢東が亡くなると、鄧小平が最終的に国家の最高指導者となった。正に彼の指導下で、中国は対外開放を実現し、グローバル経済に溶け込むようになった。さらにこれも彼の指導下で、中国は絶え間なく豊かさを目指す道を歩み始めた。


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