日本の安倍晋三首相は5日の新年記者会見で、「村山談話」を含む歴代内閣の歴史認識を継承したうえで「安倍談話」を発表し、「積極的平和主義」の方針の下で一層の貢献を果たす明確な意思を世界へ発信する考えを表明した。(文:賈秀東・本紙特約論説員、中国国際問題研究院特別招聘研究員。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
この発言は別に不適切ではないようにも聞こえるが、検証には持ちこたえられない。特に安倍氏の過去の言動と結びつけて考えると、この発言の真の意味ははっきりしなくなる。
安倍色を帯びた「安倍談話」を発表するとの考えはかなり以前からあるものだ。「村山談話」と「河野談話」を覆そうとするものであるというのが、いわゆる「安倍談話」と聞いて最初に受ける印象だ。安倍氏とその背後の右翼勢力は「村山談話」と「河野談話」がずっと気にかかって仕方ないようで、両談話を見直し、さらには覆し、代わりにいわゆる「安倍談話」を発表する考えを再三露呈してきた。衆院選に勝利したことで、安倍政権は当分盤石となった。安倍内閣の濃厚な右翼保守色が「安倍談話」に影響を与えることは避けがたい。
過去数カ月の間、安倍氏は対中関係、対韓関係改善への意欲を様々な場で繰り返し表明し、北京APEC会議期間には中国指導者との会談も実現した。2015年に安倍新内閣は真に根本的に改めることができるのだろうか?現時点では、決して良い結果にはならないことを暗示する兆候が少なくとも3つある。
第1に、安倍氏はゴールデンウィーク中の訪米を計画している。訪問の機会を借りて、米日関係を調整し、米日防衛協力指針の改定、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉などで進展を得、さらに米国を「上手くあしらって」、自らの政策への黙認と支持を取りつけ、隣国からの圧力を軽減するというのが、彼の虫のいい計算なのだろう。だが問題は、歴史問題で米国の反応を「上手くあしらう」ことが、即ちアジアと国際社会を「上手くあしらえる」ことではないということだ。