「日本」や「日本人」の鮮明な個性である「核心的価値観」を凌駕するものにいたっては、各国が婉曲に謝絶している。このため、「核心的価値観」の「脱個性化」は日本が解決しなければならない難題となっている。
しかし、チャンスはいつも偶然によってもたらされるという言葉がある。日本は伝統文化の海外普及の推進に阻まれた後、文化輸出の分野において長らく控えめな態度をとってきた。唯一例外なのが、アニメ・漫画とゲームだった。この2つのジャンルの海外普及は政府や市場の介入がないまま、各国のファンや民間のグループ間で密かに流行していた。1980年代末、日本アニメは世界に影響を及ぼし、国際メディアの注目を集め、日本全体に衝撃を与えた。軽視していたアニメ・漫画がこんなにも簡単に海外の扉を開けるなんて信じられなかったからだ。間もなくして、日本政府が介入し、パッケージを新たにした日本のアニメ・漫画がアニメ文化外交というスローガンの下、世界中の多くの国で広く受け入れられた。
では、日本のアニメはどのようにパッケージ化されたのか?アニメの純真で可愛い見た目の背景に何が隠されているのか?
日本はこれまでの失敗から教訓を得てきた。一つ目は伝統文化を一つ一つの「文化的記号」に分解し、各アニメ・漫画の隅々に散りばめたことだ。例えば、美味しい寿司や華麗な着物、満天に乱れ散る桜の花、どこでも見られる温泉文化など。あるアニメ作品で描かれる物語は長期にわたり、日本の1年にわたる風習が描かれている。春の花見、夏のお盆、秋の紅葉狩り、冬のこたつ、正月の神社参拝などだ。飲食からは日本の日常生活の風習が見てとれる。それはほぼすべてを網羅しており、目立たずに民族文化のイメージを構築している。
次に、価値体系の中でも他国との共通性をできる限り強調していることだ。たとえば、各国の文化的要素などを取り入れると同時に、個性の部分を隠し、脱構築の手段を使って、核心的価値観を再構築している。