• 習近平主席訪米
2015年9月21日  
 

中日対訳健康知恵袋 企画集 北京のお気に入り

Apple新浪騰訊人民LINE微信RSS
人民網日本語版>>政治

平和を守るには日本国民との連帯が必要

人民網日本語版 2015年09月21日08:47

 天津烈士陵園では抗日戦争勝利記念日前日、「在日殉難烈士・労働者記念館」の新装開館と「花岡暴動記念園」の開園を記念する式典が盛大に行われた。今年は「花岡事件」70周年に当たる。日本の中国侵略戦争中、建設会社・鹿島組によって行われた中国人戦争捕虜や労働者の強制労働は、東条内閣が犯した歴史的犯罪の一つである。約4万人の中国の労働者や戦争捕虜が日本の135地方に連行され、労働を強いられた。花岡では1945年6月、苦しみに耐えかねた労働者と戦争捕虜が決起したが、残虐な鎮圧に遭い、986人中419人が殺された。(文:劉江永・清華大学当代国際関係研究院副院長。人民日報掲載)

 式典には、「花岡事件」の犠牲者の子孫百人余りのほか、平和と正義の促進に尽力している多くの日本人も参加していた。町田忠昭氏はその一人。かつては日本反戦同盟の指導者・鹿地亘の救出活動にも参加した。花岡事件犠牲者の遺骨の収集と中国への帰還にも手を貸し、幾重もの困難を乗り越えて中国側への遺骨帰還を実現した。町田氏は「万年苦力(クーリー)」を自称し、60年余りにわたって鹿島に謝罪と賠償を求め、中国人労働者と遺族の正義のために戦い続けてきた。

 こうした日本人は少なくない。1953年7月7日、日本の友人と華僑とが花岡事件の被害者の遺骨を中国に持ち帰った際、廖承志氏はこう言った。「平和を愛する日本の人々が日本国内の軍国主義復活の陰謀を必ず粉砕し、アジアと全世界の平和を求める闘争の中で力を発揮してくれることを信じている」。靖国神社の本質に迫る学者、中国人被害者の裁判を助けて自宅まで売却した弁護士、侵略の罪に立ち向かい続ける政治家、侵略美化に異議を公で唱える企業家など、大勢の日本人の存在は、戦争反対と平和愛好の声は加害国でも大きな民意を形成していることを十分に物語っている。

 中国共産党は、侵略戦争を起こした日本軍国主義の悪の元凶と日本国民とを常に区別してきた。抗日戦争の時期には、八路軍は、人道主義的な捕虜政策を取り、日本の反戦同盟の拡大を促進した。毛沢東氏はかつて、「帝国主義政府とこうした国の国民とを区別し、政府内の政策決定者と一般の幹部とを区別しなければならない」と指示している。この方針は、中日国交正常化の実現を直接推進するものともなった。


【1】【2】

関連記事

コメント

最新コメント