2015年9月18日  
 

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中国侵略日本軍元兵士「日中友好の前提は侵略を認め反省すること」

抗日戦争勝利70周年インタビューシリーズ第9期

人民網日本語版 2015年09月18日10:50

 「私は人を殺さずにすんでよかった」。取材の後、中国侵略日本軍の元兵士である94歳の高橋哲郎氏(以下敬称略)は人民網の取材にそう語った。中国人を「殺さずにすんだ」というこの日本人元兵士は、その生涯の多くを、日本軍国主義の侵略の罪を懺悔し、歴史の真実を人々に伝えることに費やしてきた。「歴史への理解と反省なしに日中友好を実現することはできない」と高橋は語る。

▽軍隊は嫌いだったが召集受ける

 日本は明治維新後、急速な発展を遂げ、欧米列強の分捕り合戦の餌食となっていたアジア諸国の中で真っ先に工業化を実現した。これと同時に、民族主義的な優越感と拡張の野心も芽生え始めた。軍国主義はゆっくりと、日本社会の支配的な思想となっていった。軍国主義者は「大東亜共栄圏」を叫び、アジア諸国を欧米列強の圧迫から救うのだと主張しながら、隣国への侵略と拡張を進めた。日本は中国を覇権実現の生命線とみなし、軍隊を送って侵略占領を進めると同時に、中国で事業を興すよう日本の若者を鼓舞した。

 1921年生まれの高橋は、このような環境の中で育った。当時の日本の統治者は「大東亜共栄圏」や「五族協和」をスローガンとし、日本の指導によってアジアの国々を豊かで強い国にするのだと主張していた。高橋は小さい頃から、大人になったら中国に行って仕事をするのだと夢見ていた。大阪外国語学校の入試を受けて合格し、中国語専攻を選んだのもそのためだった。

 1941年7月、卒業したばかりで20歳の高橋は中国の青島に赴き、現地の日本の商社に就職した。同年には済南に異動となった。高橋によると、当時の中国は弱国で、日本の占領下で半殖民地状態となっていた。庶民は貧しく、中国人労働者は日本人に「苦力」と呼ばれこき使われていた。


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