上海市虹口区公平路425弄(横丁)公平里12号の旧日本軍慰安所「海乃家」が2月22日、取り壊され、世間では熱い議論が巻き起こっている。2月23日、現場に取材に向かったところ、「海乃家」があった2階建ての石庫門建築(上海の伝統的建築様式)はまだ完全な形で保存されていたが、内部は雑然としているのを目にした。
「海乃家」は日本人の坂下熊蔵により1939年から日本が敗戦するまで経営され、熊蔵の息子の坂下元司が父の「海乃家」経営を手伝っていた。この石庫門建築は今日までの間で上海で発見された最大の旧日本軍慰安所だ。かつて公平里6号に50年以上住んでいた朱同娣さん(78)は、「自分が住んでいる間、いつも団体観光客がここを見学に訪れ写真を撮っていた」と振り返る。王さんは「そのうち日本人と韓国人が多かった」と語る。
中国の慰安婦問題研究センター長の蘇智良教授は「上海で確認された166か所の慰安所旧跡のうち、だいたい5分の4の建物がすでに取り壊されており、現存している30余りの民家という形で残っている」と話す。蘇教授の目には「海乃家」は特別な意味を持つと映っている。
現地の解体事務所の情報によると、公平里で2015年11月10日から法に基づいた立ち退き事業を開始したが、初日の契約相談のうち85%が契約成立し、横丁の住人はとっくに引っ越した。現在、「海乃家」は静かに自分の命が終わる時を待っているという。上海市虹口区の新聞弁公室責任者が以前にメディアのインタビューに答えた際は、「彼らはずっと前から『海乃家』が何に使われていたかを知っていたが、文化財保護建築や歴史的建築物リストに上がっていないので、解体に何ら問題もない」と語った。これに対し、蘇教授はいくつかの保存措置は取れないかと呼びかけている。(編集JK)
「人民網日本語版」2016年2月24日