東京の早稲田大学講堂でこのほど中日ボランティア協会の設立10周年を記念するイベントが行われた。記念イベントでは、湖南省湘陽籍出身で中日ボランティア協会会長の張剣波さんがこの10年間を振りかえり、「ボランティアを1日するのは簡単だし、2日するのも簡単だろう。でも10年となると本当に簡単なことではない」と挨拶を述べた。紅網が伝えた。
中日ボランティア協会は2006年に華人華僑が集まり東京で発足した。この10年間で1万5千件あまりの問い合わせや支援の要求を受け付け、6千人あまりの在日華人がボランティアとして働いてきた。翻訳や法務、医療、環境保護の宣伝などその問い合わせは華僑華人の日本での日常生活における様々な分野に及んでいる。協会メンバーは中国各地の出身者で、湖南省出身メンバーが常に中心となって活動している。
ある華人が起こした事件がきっかけに
2006年2月、滋賀県在住の鄭永善という中国籍の女性が日本の幼稚園児2名を殺害する事件が起きた。警察の捜査によれば、この女性は「私は人を殺していない。殺したのは2体の人形だ」と言い続けていたという。故郷から遠く離れた日本の農村に嫁ぎ、言葉の壁や差別や孤独を感じ、友人も少なく、長期間にわたる引きこもりやストレスで精神に異常をきたし、殺人犯となってしまったとみられている。
張さんはこのニュースを見てとてもショックを受け、「殺人犯は当然、法によって裁かれるべきだが、このような社会的悲劇に直面して、夜も眠れなかった。もし困った時や孤独を感じた時に助けの手が差し伸べられていれば、このような悲劇を避けられたのではないか」と当時を思い起こしながら語った。
華人の悩みをサポートする団体を立ち上げたいと考えた張さんはすぐに10数人の華僑華人と日本人に連絡を取った。連絡を取った中には彼の同郷の湖南出身者や日本に来てから知り合った人もいた。意気投合した彼らは次の日には「中日ボランティア協会」を設立。資金も無く、事務局も無く、専門スタッフも無いこの協会は最初、数名の中心メンバーが協会の携帯電話を順番に携帯し、サポートが必要な華僑華人と連絡を取るというものだった。張さんは「もともとこれらのボランティアメンバー自身も日本で生きていくための様々な試練に立ち向かっている中で、同時に助けが必要な人たちをサポートするというのは本当に大変なことだった。10年間、ある人は諦め、ある人は協会を離れていったが、それでも続けている人もいる」と語った。