2016年4月6日  
 

中日対訳健康知恵袋 企画集 北京のお気に入り

Apple新浪ツイッターFBLINE微信RSS
人民網日本語版>>中日フォーカス

「45年後の今も、小さなピンポン球が地球を動かし続けている」―第1回中日米青少年卓球大会記 (2)

人民網日本語版 2016年04月06日10:25

4月2日、当時「ピンポン外交」縁の地である名古屋市内の愛知県体育館で開かれた中部日本華人卓球協会主催の「中日米青少年卓球大会」記念式典と決勝戦。「ピンポン外交」45周年記念活動の一環でもある。

当時第31回世界卓球選手権大会に出場した2人の中国人選手の郗恩庭さんと林美群さん夫婦も会場を訪れていた。郗恩庭さんは引退後、日本やフランス、メキシコといった国で卓球の指導に当たった。日本で暮らす娘と娘婿も日本での全国高等学校卓球選手権大会で入賞した経験をもつ。郗さんは当時の様子について、「卓球は私たち家族と世界をつなぎ合わせた」と述べ、過去の記憶をたどりながら、「庄則棟選手が中国代表チームのバスの扉近くに立っていて、米国のコーエン選手がバスに乗り間違えた際に、庄選手はかばんから西湖の風景が描かれた絹織物をコーエン選手に贈った。当時の政治情勢下では勇気のいることだった。翌日、コーエン選手も中国代表チームにTシャツをお礼に贈った。生涯卓球をやってきたが、一番の達成感は世界一をとったことよりも大国関係の外交活動に関われたことだ」と述べた。2日前に開かれた記念交流会では当時の日本の選手の竹内敏子さんと杉本安子さんと再会し、45年前の大会での技や試合後の談笑を思い起こしながら交流し、「異なる国の人々が末永く友好であってほしい」という共通の思いを分かち合った。

愛知大学現代中国学部の砂山幸雄教授は会場で、「ピンポン外交」の自身への影響を記者に語った。世界卓球選手権名古屋大会開催当時はまだ高校2年生で、テレビで報道を見ていた際に「中国人はこんなに友好的なんだ」と思ったという。大学で最初に専攻したのはドイツ語だったが、「ピンポン外交」によって巻き起こされた「中国語ブーム」の中、中国語も履修した。砂山教授の同級生に当時大会に参加した日本人選手がいたという。こうした縁が重なり、砂山教授は最終的に中国文化を自身の研究の方向性と位置づけた。「『ピンポン外交』は米中国交樹立の始まりであり、日中国交正常化の始まりである。『ピンポン外交』は民間の力で政府を動かした事例であり、今日の外交にも大いに参考になる」と述べた。

昨年5月、愛知県は同体育館正門に『ピンポン外交』記念壁を設置した。記念壁には「愛」「平和」「友好」「夢」と書かれ、白色の小さな球が中日米三国国旗を結んでいる。愛知県の大村秀章知事は、「どんな試合でも、皆まずここを通りこの歴史を知ることができるようになった。こうした方法で『ピンポン外交』の歴史的功績が民間で銘記され、民間友好の伝統が受け継がれていけば」と期待を語った。(編集IM)

「人民網日本語版」2016年4月6日


【1】【2】

関連記事

コメント

最新コメント