実際、中国人がより遠い国まで足を運ぶようになり、そのペースが加速するにつれて、近隣という意義はすでに地理的概念で括られるものではなくなってきている。日本は影のように中国人や中国企業に寄り添い、世界各地に出現している。私が海外に駐在していた20数年あまりの間も実はこの影を振り切ることはできなかった。日本というのは常に無視することのできないテーマだからだ。
私はタイに3年ほど駐在したが、バンコク国際空港から市内に移動するたびに、二つの大きな広告パネルの前を通る。一つは中国のハイアールのもので「世界最大の家電サプライヤー」と書かれている。もう一つは日本の三菱で「タイの製造業発展をサポートします」と書かれている。この二つのキャッチコピーが中国とタイ、日本とタイの異なる関係と二社のタイにおける異なる地位を明確にしている。
2011年に日本の近海で大地震が発生したニュースがタイに伝わると、その日から多くのタイ人が街頭での募金活動を始めた。タイの日系自動車企業では、タイの工場労働者が日本人経理と抱き合いながら涙するという感動的なシーンも見られた。統計によれば、タイは日本に6億バーツ(約18億7千万円)を超える募金を行ったという。このデータが公表されると、中国の外交官は四川大地震に対するタイからの募金は3億バーツにも満たなかったことを大変感慨深く思い起こしたという。
ミャンマー北部を取材した際、日本の慈善団体が独立武装勢力であるミャンマー北部の少数民族に停戦を条件に援助を申し出ていることを知った。フィリピンではミンダナオ島のイスラム系住民の武装勢力の武装を解くのに日本の慈善金が使われたと聞いている。