日本の家電産業が転身の時期を迎えている。東芝は白物家電事業を美的に売却し、シャープは台湾地区の鴻海に買収され、サンヨーはパナソニックとハイアールに分割された。2015年下半期以降、日本の家電メーカーは「厳寒期」に入り、かつての家電市場の覇者たちは事業を切り売りして企業の存続をはかるしかなくなり、日本社会に大きなため息をつかせている。時代のリーダー役から生存の危機まで、わずか数十年のことだ。日本家電メーカーはどのようにして苦境に陥ったのか。未来はどこにあるのか。「環球時報」が伝えた。
▽かつての繁栄はマイクロ電子技術の革新のたまもの
日本家電産業が1980年代に飛躍的な発展を遂げたことは、慶応大学の井村喜代子名誉教授からみれば、「日本のマイクロ電子技術がもたらした必然的な結果」だ。「当時、米国はマイクロ電子技術を主に軍需産業と宇宙開発に利用したが、日本は国民が生活で利用する電化製品と産業機械に利用して、国際市場を急速に獲得していった」という。
中国のテレビがまだ真空管を使用していた頃、日本ではトランジスタの使用が始まっており、集積回路(IC)の開発も行われ、テレビ、ラジオ、ビデオに応用されていった。その後、日本メーカーは大小の家電の開発と製造をすべてカバーするようになった。
電子部品の製造を手がける企業であれば、家電製品を組み立てることはほぼ可能だ。人々は一番初めに電子製品を開発したメーカーの製品を買いたがる。日本の人口は1億人で、国内市場には限界があり、海外に廉価な家電製品を提供するのが、日本メーカーの必然的な選択肢だった。当時、国際社会には電子部品で日本と競争できる企業は少なく、家電製品で日本メーカーと勝負できる企業はさらに少なかった。技術の優位性により、日本家電産業はアジア市場を席巻した。