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日本の白髪の技術士に中国語を教えた時のこと (3)

人民網日本語版 2016年07月12日11:03

最後の授業の時、私は詩人・王維の「さあ、もう一杯酒を飲みたまえ。西のかた陽関という関所を出たら、もう、友人もいないのだから」という詩を選んで、中国の唐詩について話した。

授業が終わると、鳥飼さんが送別会をしてくれた。はしご酒をし、「また必ず会おう」と約束して、地下鉄の駅で手を振って別れた。私と一緒に駅に入った鳥飼さんはプラットホームで、ほほ笑みながら「先生に会いに、必ず中国に行く」と中国語で話し、手を振ってくれた。

今は交通も通信も発達し、「西のかた陽関という関所を出たら、もう、友人もいない」という悲壮感は全くない。帰国後も、生徒らと頻繁に連絡を取っている。メールが一番を多いのは鳥飼さんで、みんなの近況や会議があって米国に行ったとか、熱を出して入院したとか、射撃大会で賞を取ったなど自分の近況も教えてくれた。しかし、ある時からメールの間隔が長くなり、その後、他の生徒からのメールで鳥飼さんは入院して帰らぬ人になったことを知らされた。ある時、私は、鳥飼さんを連れて中国の大学のキャンパスを歩く夢を見た。そして夢の中で、私は鳥飼さんに「これが中国」と話していた。

クラスのメンバーは技術士会の活動に頻繁に参加し、中国に来て、科学技術テクノロジーの技術者と交流したり、ニーズのある中国の企業とマッチングをしたりしている。日本の戦後の高度経済成長を必死に戦い抜いてきた老いた専門家たちは、80代や90代という老齢になりながらも、自分なりの方法で自分の存在価値を高めている。まじめで、粘り強く、何事もやり通すという純粋な子供のような心を彼らは持っているのだ。(編集KN)

「人民網日本語版」2016年7月12日


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