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「君の名は。」の新海誠監督 建設会社社長の道捨ててアニメ界に (2)

人民網日本語版 2016年12月02日09:55

実は老舗建設会社の令息

「君の名は。」が日本で封切られた際、日本のメディアが、新海監督は社長令息で、社長の座を放棄して、徹夜が日常茶飯事のアニメクリエーターになったと報じた。

実は、上映に合わせて、老舗建設会社・新津組のホームページに「君の名は。」の情報が掲載され、新海監督について、「弊社社長の息子」と紹介されていたのだ。新海監督はアニメクリエーターになった時、会社の名前の恩恵に預かることを望まず、「新海」と名乗るようになったという。

新海監督の本名は新津誠。父親の新津正勝さんは新津組の社長だ。同社は明治42年(1909年)創立で、日本では有名な建設会社だ。新海監督は元々、4代目として家業を継ぐための修行として、父親の紹介を受けた東京都内の住宅メーカーに勤める予定だった。しかし、新海監督はその期待に背き、大学4年の秋、「お父さんごめん。若いうちにしておきたい仕事があるから、紹介してくれた会社には行けない」と父親に電話で伝えたという。

新海監督は、実習していた建築会社の近くでゲーム会社・日本ファルコムのスタッフ募集広告を目にし、気持ちが大きく変わったという。そして、同社に入社し、最初の5年間、新海監督は普通のアニメクリエーターとして、毎日夜12時まで働き、終電で帰宅し、翌朝6時にまた起きて出勤するという生活を続けた。その頃、「こんな仕事をしていてどんな意味があるのだろう」とよく思っていたという新海監督。「誰も自分の努力を見てくれていないような気がしていたものの、自分の気持ちを誰かに伝えることもできなかった」という。


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コメント

最新コメント

中川 清三   2016-12-05125.53.124.*
 君の名はの新開監督のなりそめは、日本でも有名な話になっていて、人民日報のコラムが詳細な部分まで、調べ上げていたなどと知りようも無かった。確かに日本の映画界でも有名になり、アニメ先進国日本の中でも今まで無かった映像の透明性、と次元の違った世界への観客の感情移入を、バーチャル映像で見せているような、高品質な描写はまさに宮﨑綾雄監督を越えた日本を代表した新アニメーターである。 彼の談話に出てくる、修業時代の苦労話で、自分が作るアニメは日本や世界のアニメファンを感激させようとして作った物ではなく、「一人でも自分の作品に感動する人がいれば良い」として、将来生活を約束された老舗建築会社の社長座を放棄してまで、好きなアニメの世界にのめり込み日本の中だけで日々切磋琢磨してきた。 このことは「物作り日本」の共通点であって、今現在世界をリードしている日本の大企業や中小企業が、日本の中で多くの同業他社と熾烈な競争をした結果、ふと振り向いたら世界の先端に立っていた。 70年前の戦争で廃墟となった日本社会を、短時間で回復させた日本人、繊維と家電製品に始まり、電子部品産業から車産業や新幹線やリニア新幹線と繋がり、今ではロケットの打ち上げでも、低費用で高成功率で世界をリードしている。世界でも類のないの新素材の開発成功事例や、今では日本の小売業やミセランガイドから選ばれる日本食までもが世界中に広まり{日本のチカラ」の源泉となっている。アニメも日本の産業も同じ日本人が発する「日本のイノベーション」だ。