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AI時代の外国語教育 その苦悩と模索(二)

人民網日本語版 2018年12月21日08:20

人民網ではこのほど、「AI時代の外国語教育 その苦悩と模索」をテーマとする小野寺健氏による連載をスタート。小野寺健氏は特定非営利活動法人日中友好市民倶楽部の理事長を務めるほか、長年にわたり数多くの中国の大学で日本に関する教育指導を行い、「淮安市5.1労働栄誉賞」や「第二回野村AWARD」、「中国日語教育特別感謝賞」などを受賞しているほか、人民日報海外版では「中日友好民間大使」として紹介されている。

 

第二章 外国語学習の意義

学びには目的と意義があり、目的の乏しい学びは、地図を持たずに歩くが如く、労多くして成果の伴わない遊びであるといえる。

当然ながら、時として遊びも必要であるが、ここでは効果的な学びであり、その学びの意義について論じていく。

では、外国語を学ぶ意義は、奈辺にあるのだろうか。ドイツの文豪ゲーテは、「外国語を知らない者は、自国語を知らない」としている。謂わば他者を知り、自己を顧みることで、物事の本質に迫り、より深い叡智を獲得することが、外国語学習の意義であり、「読み書き話せること」は、その前提となるが、外国語学習の意義は、物事の本質を捉える賢さを養うことであり、「読み書き話せること」は、寧ろ学習の副産物と捉えるべきだ。

しかし、初級の段階から中級に至る迄の外国語学習は、「読み書き話せる」ことに終始しており、賢い学生を育てるという本来の意義を、喪失しているのが現状だ。

また、外国語学習の目的は、「読み書き話せる」ことではなく、多様な視点を持ち、賢くなることであるが、ドイツの建築家ミース・ファンデル・ローエが「神は細部に宿る」としているように、学習の前提として「読み書き話せる」能力が密接不可分であることも、残念ながら事実である。そして、このことが、外国語教育の混迷と誤解を招く、大きな一因になっている。

なお、言語学的には、中国語は孤立語、英語は屈折語、日本語は膠着語に分類されており、この三言語を習得すれば、異なる言語体系を網羅することになり、夫々の言語が、民族の叡知と習俗の結晶であると理解をするならば、中国人学習者にとって、日本語を学ぶ意義は、小・中・高と積み重ねた孤立語と屈折語に、日本語という膠着語を加えることにより、更に多様な価値観と叡知を継承し、物事の本質を捉え、新たに他者と異なる独自の視点を持つことで強力な知的武器を手に入れることになるといえるだろう。

「人民網日本語版」2018年12月21日

第一章はこちら→

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