毎年7月に香港で開催される「ミス香港」の優勝者は一夜にして時の人となる。優勝者がよく最初に聞かれるのが、「芸能界に進出したいか?」、「スターの道を歩みたいのか?」などだ。このように、「ミス香港」になることは、香港で芸能界に進出する最も近道と考えられているが、全ての「ミス香港」がスター街道を突き進み、安泰となっている訳ではない。「時の人」となった後、芸能界以外で活躍するようになった「ミス香港」もたくさんいる。揚子晩報が報じた。
1982年に「ミス香港」で準優勝した鄺美雲(キャリー・クォン)は、すぐに芸能界入りし女優として活躍。93年に、日本の歌手・中島みゆきの70年代の曲「ルージュ」を中国語歌詞(中国版タイトル:容易受傷的女人)でカバーし、歌手としても中国全土で知られるようになった。96年には、香港の人気映画俳優・呂良偉(レイ・ロイ)と結婚するものの、翌97年に離婚。そして、人気絶頂だった2000年、鄺美雲は宝石店「CALLYJEWELLERY」をオープンさせた。その理由に関して鄺美雲は、「頂点に達したから、別の事をしてみたかったし、宝石関係に興味があったから」と説明している。同業界でも実力を発揮した鄺美雲の資産は現在、5億元(約82億円)とも言われている。
98年の「ミス香港」で優勝した向海嵐(アンネ・ヒョン)も、すぐに芸能界デビューを果たし、99年には「国際華裔小姐( Miss Astro Chinese International)」に香港代表として参加し3位に輝いた。出演ドラマには、「楊貴妃」(99年)、「無頭東宮」(2000年)、「胭脂水粉」(05年)などがある。しかし、2008年5月1日には、香港芸能界を「引退する」と発表した。現在は上海に住み、夫の羅瑞安が経営する瑞安集団の上海新天地で広報を務めている。
02年の「ミス香港」で優勝した林敏俐は03年に国際華裔小姐で準優勝を果たし、ドラマ「美麗在望(Not Just A Pretty Face)」や「追魂交易」などに出演した。しかし、03年9月に芸能界引退を発表。現在は、母親が米国のサンフランシスコで行っているビジネスをサポートしている。
05年の「ミス香港」で3位に入った林莉は、広告会社の製作アシスタントとして家族を養う道を選んだ。そんな林莉さんは現在、モデル界の発展にも力を注いでいる。(編集KN)
「人民網日本語版」2014年4月11日