2013年12月20日  
 

中国の夢健康知恵袋 企画集 日本からニイハオ!

Apple新浪騰訊人民微信RSS
人民網日本語版>>社会・生活

一人っ子を失った還暦女性、双子の試験管ベビーを出産

 2013年12月20日08:14
  • 分かち合うへtwitter
  • 分かち合うへyahoo
  • 分かち合うへsina.com
  • 分かち合うへrenren.com
  • 分かち合うへt.qq.com
音楽が聞こえると、2人の少女は楽しそうに踊り出す。この間、母親は生活費を稼ぐため、外で講師の仕事をしている。

○一人っ子に先立たれ、再出産を決意した女性

 中国衛生部「2010年中国衛生統計年鑑」の推計によると、「一人っ子を失った家庭は毎年7万6千世帯増加しており、全国で100万世帯を上回った。人口学が専門の易富賢氏が国勢調査の統計データに基づいた詳細推計を行ったところ、中国の2億180万人の一人っ子のうち、25歳までに亡くなる人は1009万人に上ると見られる。中国では近い将来、一人っ子を失った家庭が1千万世帯に達する見通しだ。子供に先立たれた親の老後の落ち着き先という問題は、社会全体に重くのしかかり、その隙間から、国民のため息まじりの疑問の声が聞こえてくる。子供に先立たれた親の多くが、孤独のなかで老後を過ごすしかないのだろうか。4年前、盛海琳さん(当時60歳)は、一人娘を失った後、再出産という道を選んだ。彼女のエピソードが、孤独な老後を想像して暗澹たる気持ちでいる人々の希望の光となればと願ってやまない。合肥晩報が伝えた。

○一人娘を失い、壮絶な苦しみを味わう

 盛さんは何度か引っ越しをしているが、どの新居でも、寝室につながる廊下の窓の格子には、娘の遺影が飾られている。「諦めが悪いのかもしれないけれど」と話す盛さんは、この写真を毎日必ず見ないと気が済まないという。それを見るたびに、彼女の心はずきんと痛んだが、双子の姉妹の智智と慧慧が日々成長するにつれて、とうとう彼女は暗闇から抜け出し、ここ数年で起きた出来事を人に話すまでになった。

 時は2009年旧暦1月6日の早朝に遡る。起床して間もない盛さんと夫の元に、突然の訃報が舞い込んだ。一人娘とその夫が、池州でガス中毒が原因で死亡したという。盛さん夫婦はよろめきながら病院に駆け付け、2人の遺体を対面した。悲しみは極みに達し、声が枯れるまで号泣し続けた。

 一人娘の婷婷さんは1980年に誕生した。両親は、自分たちの全身全霊をかけ、娘の成長と幸せに力を注いだ。娘が7歳になると、盛さんは長い間かけて貯めた5千元でピアノを買い与えた。この額は、当時としては途方もない大金だった。小学校に上がると、夫は故郷を離れて働き、盛さんと娘は助けあって生活した。母娘の心の絆はとても固かった。2005年、定年退職した盛さんは、それまでにも増して自分の持つ力を全て娘に注ぐようになった。2008年9月に娘が結婚、盛さんは心安らかに晩年を過ごせると安堵した。しかし、そのような心安らかな日々は、娘婿の故郷・池州に里帰りした若夫婦がガス中毒でこの世を去ったことで、突然打ち切られた。

 愛娘を突然失った盛さんは、心痛極まり、一度は生きる望みを完全に失った。友人達は、彼女に養子をもらえばと勧めたが、彼女にとって、自分がお腹を痛めて産んだ娘の代わりとなる人間はいなかった。幾人かの親友が、「もう一度子供を産めば?うまくいかなかったら、試験管ベビーという方法もあるわ」と提案した。このアイディアに、彼女の心が少し動いた。

○危険を承知の上で再出産に挑む

 「智智、慧慧、あなた達がこの世に生まれきた時の様子を教えてあげようか?慧慧は子猫くらいの大きさでね。。。」-盛さんはよく、2人の娘を胸に抱いて、彼女らが生まれてきた時の様子を話す。その言葉は、愛情とぬくもりに溢れている。だが、自分たちをこの世に送り出すために、母親がどんな苦労を経験したか、この小さな姉妹には分かるはずがない。

 すでに還暦を迎えた盛さんが再出産を決めた時、医師でもある彼女は、自分の決定がどれほど危険なことかについては十分承知していた。だが、先立たれた娘を思う気持ちが勝り、ついに彼女は覚悟を決めた。

 2009年3月、盛さんは北京で医師として働いている友人に連絡を取った。友人の医師は、有名な産婦人科医を探し、試験管べビーの可能性について相談するため、診察の予約を入れた。ところが、産婦人科専門医は、盛さんがあまりにも高齢で、国内でも前例がなく、冒険は止めるようにと進言した。南京でも専門医が見つかったが、やはり引き受けてくれなかった。同年7月、盛さんは人民解放軍105病院生殖センターの医師らを探し出した。彼らは、盛さんの深い思いに感動し、挑戦する気持ちが芽生え、試験管ベビーの手術を引き受けた。

 手術に備え、盛さんは医師の指導のもと、毎日薬を服用し、注射を打ち、3カ月間の薬による養生を行った。すると、医師が意外に思うほど、彼女の身体の各機能が全て順調に若返り、月経も再開した。2009年10月13日午前、盛さんは試験管ベビーの手術を受け、無事3つの受精卵が得られ、彼女の子宮内に移植された。

 60歳という年齢の女性にとって、約10カ月におよぶ妊娠期間が苦難の連続であったことは容易に想像できる。盛さんは妊娠週が進むにつれて、大量出血、全身の痛みやむくみなど、健康な人からは想像もできないような危険と苦痛・苦難を次から次へと経験し、最初に会った専門家が試験管ベビーの手術を拒んだ原因が良く分かった。
 
 「大きい赤ちゃんが1850グラム、小さい赤ちゃんが1450グラム」-2010年5月25日午前9時5分、双子の赤ちゃん・智智と慧慧が予定より早く誕生した。母親の盛さんは、中国の最高齢出産記録を塗り替え、中国で最高齢の産婦も誕生した。(編集KM)

 「人民網日本語版」2013年12月20日

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]

関連記事

コメント

最新コメント