「中国の夢」を持つ楽山孝志さん。 |
楽山孝志さん(30)は2011年、中国サッカー・スーパーリーグ(CSL)の「深セン紅鑽」に入団し、CSL初の日本人選手になった。楽山選手は決して「大物助っ人」という訳ではないが、同チーム史上彼の右に出るものはいないというほどまじめにサッカーに取り組んだ選手だった。信息時報が報じた。
それから3年後の昨年12月末、楽山さんは現役引退を表明し、現在は深センで無料でサッカーを体験できる「楽山サッカー塾」を開いて、初の日本人コーチとしてユース育成に励んでいる。深センでコーチ人生をスタートさせたのだ。そんな楽山さんは、「僕が育てた選手がいる中国チームが、ワールドカップの決勝トーナメントに進出できる日が来ると信じている」と将来の「夢」を語る。
史上最もプロフェッショナルな助っ人
3年前に海南省にある「深セン紅鑽」の練習場に足を踏み入れた時、新しい環境に身を置いた楽山さんは、中国サッカーや中国に対する複雑な気持ちに襲われたという。CSL初の日本人選手だった楽山さんは以前取材に対して、「ここで受け入れてもらえるか分からないが、チームと中国サッカーの助けになれれば」と語ったことがある。
その後、楽山さんは必死に努力して、深センのサッカーファンから尊敬され、愛される存在になった。「深センが大好き。たくさんの友人がいるし、中国人の友人はとても熱い。3年の間、たくさん助けてくれた」と楽山さん。
楽山さんは、同チーム史上最も大物の助っ人というわけではないが、最もプロフェッショナルで、努力家の助っ人と言える。これは、コーチや選手、ファンらの共通の声だ。練習場で、いつも一番にユニホームに着替え、準備体操を始めるのが楽山さんだった。そして、同チームに入団した日から、単語張を持参して中国を勉強していた。彼のポジティブな性格もまた、皆に愛される理由の1つだ。
昨年末、助っ人枠を理由に、同チームは楽山さんとの契約を延長せず、楽山さんはソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を通じて現役引退を発表した。そしてすぐにコーチになる道を選んだ。楽山さんは日本に帰国後、浦和の鈴木啓太選手や前J2東京Vの巻誠一郎選手らと共に、小学生を指導するイベントに参加した。日本サッカー協会が認定するC級の指導者ライセンスも取得し、サンフレッチェ広島や千葉県のジェフユナイテッド市原などのジュニアユースチームで育成の実習を行った。