日本には誰もがよく知るトイレ掃除に関わるエピソードがある。主人公は、元郵政大臣の野田聖子氏だ。野田氏が会社に入って、初めて担当した仕事はトイレ掃除だった。この任務はトイレをまるで新しいトイレのように清潔に洗うことが要求された。最初はトイレに向かうだけでも吐きそうになったという野田氏だが、最後にはトイレに溜まっている水をグラス一杯なみなみに注いで飲み干すまでに、トイレを磨き上げた。これは、自分が行った仕事に対する自信の表れでもある。
中国を師とする古代の日本は、中国から遣唐使が帰国した後、「大化の改新」を行った。李大釗、魯迅といった近代の中国の知識人らはかつて日本に渡って先進的な思想や文化を持ち帰った。海がどんな川の水でも差別なく受け入れるように、他の人の優秀なところは、じっくりと心を据えて学ぶべきだ。これと、卑屈になることとは全く関係ない。もし魯迅が提唱した、「拿来主義」(外国の良いものを取り入れ自国の発展に役立てる主義)が単に表面的な市場占有率だけのことを意味するのであれば、商品の競争だけを気にし、商品の背景にある精神的な内実を無視することになる。これは、まるで箱だけ買って、中身の玉を返すようなものだ。
わざわざ海を渡って便座を買うぐらいなら、トイレを清潔にする精神から学ぶべきだ。真に人に優しい、品質を追求する理念を商品の中に取り入れるため、「メイド・イン・チャイナ」を全体的に新常態の高みに押し上げるべく推進していかなければならない。(編集MZ)
「人民網日本語版」2015年3月4日