私は、非常に多くの日本の政治家と接した。在日本中国大使館での仕事が終わると、いつも衆議院会館や参議院会館に向かった。両院の議員は合わせて計700人ほどだったが、私は会館のロビーの廊下でリストを見ながら1人1人を確認した。そして、半分以上の議員の顔を覚えた。そして、さまざまな場所で通訳を担当し、駐日中国大使にその報告を行った。その頃、大使から「君は実に非凡な記憶力を持っている」と称賛の言葉をもらったことを覚えている。当時、私は日本人を一番よく知る中国人だと見なされていた。
私は、日本の47都道府県すべてを訪問した。北海道には3回、沖縄は4回行った。日本の友人からは、「日本人でも日本全国すべての都道府県に行ったことがある人は非常に少ない。おそらく全人口の10分の1にも満たないだろう」と言われた。
日本の人々を理解するため、日本人が好きなものはすべて私も好きになった。中日国交回復後は、駐日中国大使の通訳として東京の大使館で勤務した。ある日、公明党の友人が大使に、「田中角栄という男は、本当に凄い政治家だ。政権発足後3カ月にも満たないうちに、日中国交回復という特大ホームランを放った」と語った。当時、私は野球のことをあまり知らなかったので、ホームランの意味がわからなかった。そのため、早急に野球を学ばなければならなかった。当時、大使館にはさまざまな招待券が贈られてきていたが、その中に野球協会からの招待券も含まれていた。大使館の同僚たちは誰も行かないというので、私は1人でしょっちゅう野球を見に行った。特に巨人の試合を一番良く見た。そして、野球を見るうちに、本当に野球が好きになった。後に、野球の解説者になれるぐらいの知識が備わったので、中国の友人に日本の野球についてよく紹介した。