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周斌さんの回想録「私は中国の指導者の通訳だった」日本で出版

人民網日本語版 2015年03月17日13:05

長年にわたり中国の外交部(外務省)の日本語通訳を務めた周斌さんの回想録「私は中国の指導者の通訳だった―中日外交 最後の証言」(岩波書店)が2月25日に日本で出版された。中日国交正常化など外交の最前線に立ち会った周斌さんの同回想録の日本語翻訳は、元朝日新聞中国総局長の加藤千洋氏と鹿節宝氏が手掛けた。中文導報が伝えた。

周斌さん(80)は、中国外交部のベテラン日本語通訳者で、25年間中日間の外交の第一線で通訳を担当してきた。中日国交正常化交渉など、激動の時代を経験し、常に中日関係の最前線に立ってきた。

周斌さんは、これまでの80年の人生のうち67年間を日本や日本人と関わって生きてきた。まさに名実ともに筋金入りの「日本通」だ。歴史の生き証人および参加者として、周斌さんは著書の中で多くの貴重な史実や資料を紹介しながら、自分の目で見た事や、直接触れ合った周恩来総理や田中角栄、大平正芳両首相の素顔、数多くの中日関係の友人について執筆している。

最初の仕事は、1959年の新中国建国10周年各界慶祝代表団の通訳だった。日本の各界は片山哲氏を代表とする中国建国10周年慶祝代表訪中団を結集し、1カ月後に石橋湛三氏が訪中した。内閣総理大臣に就任してわずか2ケ月で病に倒れ辞任した石橋氏は、周総理に、「私の任期は短すぎた。あと1年半の時間があれば、日中関係を回復できただろう」と語った。さらに1カ月がたつと、元自民党の村松健三氏が訪中した。当時、大学を卒業したばかりの私は、日本の政治家たちの日本語通訳を務めた。池田内閣の時代には、中日記者交換という喜ばしい出来事もあった。その後、佐藤栄作首相による長期政権が誕生したが、当時はまだ中国との交流はなかった。1972年、沖縄が日本に返還され、それを見届けた後、佐藤内閣が退陣した。中国側は後任の首相が誰になるのか大変大きな関心を持っており、自民党の主流派の中で誰が中日関係にとって有利なのか、誰が後任になれば中日関係に不利になるのかなど、日本の各野党に情報を問い合わせた。周総理や中国指導者はそれぞれ日本の政治家と接触や交流の場を持ち、私はその際の通訳の1人だった。


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