今から1000年以上前の唐の時代、宮廷では絶えず政変が起こっていた。李世民は「玄武門の変」で、兄であり皇太子であった李建成を殺害し、第2代皇帝(太宗)になった。その長男の李承乾もこれに倣おうとしたが、計画は失敗、廃位され庶人に落とされた。陝西省考古研究院が28日に発表した情報によると、考古学者はこのほど陝西省戸県で、李承乾の「高級近衛兵」を務めていた人物の墓を発見した。その墓誌には、この政変の歴史が記されている。
この墓主の名は馮孝約。貞観13年(西暦639年)に「太子千牛備身」に、貞観18年(西暦644年)に光州司戸(下・中級の官吏)になり、間もなく簡州司戸として任地を離れ、西暦659年に洛州密県令として47年の生涯を終えた。
墓誌にあった「太子千牛備身」とは、どのような職務だろうか?発掘作業を担当した陝西省考古研究院の田亜岐研究員によると、「千牛備身」は、皇帝もしくは皇太子の安全を守る宮廷の高級武官。つまり、馮孝約は太子の「高級近衛兵」だったはずだ。