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ネパール地震 在ネパール中国人が語る被災地への旅 (2)

人民網日本語版 2015年05月12日13:41

張氏は、「非常に蒸し暑く、服は湿っては乾き、乾いては湿りを繰り返した。7時半頃になると雷が落ち、すぐに真っ暗になった。私たちは懐中電灯を持っておらず、携帯電話のバッテリーも切れようとしていた。そのため、雷を利用して足元の道を確かめながら進み、何度も転びそうになった。こうして5時間以上も這うようにして進み、夜9時過ぎにようやく目的地に到着した。私の足は棒になっていた」と語った。張氏はテコンドー4段で、指導員を長年務めておりたくましい体格をしているが、それでも震源地の険しい山道に苦しめられたという。

目的地は1万人弱が暮らす村で、地震によって崩壊していた。68人が犠牲になり、家屋の95%が破壊され、90%の家畜が死亡した。張氏は取材に対して、「ある村民は最も悲惨で、家族が地震で犠牲になり、一人きりになってしまった」と述べた。この村民は震災発生時に、クウェートで出稼ぎ中だった。

「仕事中に友人から電話が入り、震災のニュースを聞いた。私はすぐに家族のことを知りたいと思った。私の友人は口ごもり、『すまないが、助けることができなかった。あなたの家族はみな、倒壊した家の下敷きになった』と言った。この悪夢を聞くと、目がぼやけて何も見えなくなった。しばらく何も言えなくなり、やむなく電話を切った。私はその晩、眠れなかった。私はすべての家族を瞬時にして失ったことが信じられなかった。66歳の母、25歳の妻、それから1歳半の娘が絶えず頭の中に浮かんだ。あの夜、私の涙は止まらなかった。私は震災発生後の5日目に帰郷した。家が全壊し、廃墟になっており、私が見ても分からないほどだった」この村民は極度の悲しみにより、痛みに対して無感覚になっていた。

大災害を前にして、自信は黄金よりも貴い。張氏は被災者の苦しみに心を痛めたが、彼らに自信を届けた。張氏は、「私は要請に応じ、スピーチを行った。私は、地震によってここで死ぬかと思ったが、生きていることを喜んでいると話した。M8.1の地震は、家を破壊し、家族を奪い去ったが、私たちをどうすることもできなかった。だから私たちは地震よりも強い。命を大切にし、自らの行動により援助が必要な人に手を差し伸べなければならない」と語った。(編集YF)

「人民網日本語版」2015年5月11日


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