化粧をする栄太郎さん
三味線の音が鳴り響く中、厚い白塗りに、真っ赤な口紅を差し、美しい着物を着た日本で唯一の女形芸者である栄太郎さんが豊かな表情と柔らかい眼差しを浮かべて軽やかに舞う姿は、どんな女性の芸者と比べてもまったく遜色はない。女性が主体の職業で、栄太郎さんは自分の努力と根性によって日本や世界の多くの人々から人気を博し、国内外のメディアにも取り上げられた。栄太郎さんは、東京都品川区の自宅兼置屋で、日本で唯一の女形芸者になった物語を語った。新華網が伝えた。
母親が美しく有名な芸者で、幼い頃から母の様子を間近に見てきた栄太郎さんは8歳の頃から芸者の稽古を始めた。舞踏、長唄、礼儀作法などさまざまな厳しい専門的な訓練を受けてきた栄太郎さんにとって、最も難しいのは芸を演じる中で、いかに女性の役柄に入り込むかにほかならない。栄太郎さんはこのために多くの苦労をし、多くの批判を受けてきた。長年芸に没頭し、技術を向上させてきたことで、現在の栄太郎さんの所作には春風のように温かく、女性らしいしなやかな美しさがにじみ出るようになった。
栄太郎さんが23歳の時、母親はガンでこの世を去った。後には、栄太郎さんと妹、置屋に所属する10人の芸者がとり残された。芸者の業界は不景気なため、芸者を呼ぶ料亭もますます少なり、芸者の数も半減した。
栄太郎さんは、「母親の叶えられなかった願いを考えると、芸者文化の継承と復興のために、必ず頑張り続け、多くの困難を克服しなければならない」と語る。