鹿児島県南九州市の「神風特攻隊」の世界遺産登録申請への動きが再び本格化することになった。南九州市長は13日、「世界遺産申請チーム」を自ら率いて東京の外国人記者クラブに赴き記者会見を開催、申請ムードは一気に盛り上がった。中国新聞社が伝えた。
昨年の「特攻隊世界遺産申請」が「玉砕」した後、反発や疑問の声をあちこちから受けたこの「考え」は、決して立ち消えた訳ではなかった。南九州市「世界記憶遺産推進室」の職員は、記者会見の席上で、「今年6月に国内の関連機関に申請書を提出した後、来年3月にユネスコ本部に申請書を提出できるよう準備を進める。申請のタイトルは、『知覧に残された戦争の記憶-1945年沖縄戦に関する特攻関係資料群』と決まった」と述べた。
昨年の申請時に主要構成資料とした特攻隊員が残した遺書を基礎に、今回の申請では、特攻隊員の世話をした学生の日記、現地の子供たちが特攻隊員に宛てて書いた手紙、現地の女学生が特攻隊員に贈った小物などの資料も追加される。
南九州市の霜出勘平市長は、記者会見において、「『特攻隊世界遺産申請』は、決して特攻への賛美や正当化が目的ではなく、後世の人々に悲惨な戦争の記憶を伝え、二度と戦争を繰り返さないためだ」と強調した。
だが、記者会見では、「特攻隊世界遺産申請」について、依然多くの外国人記者から疑問の声が挙がった。英タイムズ紙記者は、「南九州市の『知覧特攻平和会館』を訪れた時の印象は、記者会見で強調されている『悲惨な戦争の記録』というよりはむしろ、特攻隊を美化するムードが満ち溢れていた」と指摘した。
霜出市長はこの指摘に対し、「そのような誤解が生じたのは、我々の努力不足によるものだ」と、その場を取り繕った。
また、ドイツ人記者は、「大事なことは、このような戦争の悲劇が引き起こされた根本的な原因は何か、この戦争に対する責任は誰が担うのか、という点にある」とさらに厳しく指摘、「世界遺産への申請を行う前に、あなた方は、これらの問題について話し合ったのか」と追及した。南九州市「世界遺産申請チーム」は、この追及に対し、「我々の立場から、戦争責任に関してコメントすることはできない」と苦しい言い訳をした。
スイス人記者からも、「政府筋からさまざまな『歴史修正主義』の圧力がかかる中で、『特攻隊世界遺産申請』が、その影響を受けないことをどうやって保証できるのか?」との疑問が上がった。(編集KM)
「人民網日本語版」2015年5月15日