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2015年6月17日  
 

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ゴミ漁りから日本で語学学校を創設した初の中国人 (2)

人民網日本語版 2015年06月17日10:23

■日本留学を志すが、ビザ申請で借金を抱える

教師として日本語を教える中で、張氏の心の中に日本に留学したいという考えが浮かんできた。しかし、海外に留学することは容易なことではない。張氏は日本語の上級課程を独学で学びながら、日本側と留学の件で連絡を取り合いながら準備を進めた。しかし、初めての留学の申請は失敗に終わった。しかも、かなりの借金を背負ってしまった。しかし、それでも張氏は日本で留学するという夢を諦めずに、2回目の申請の準備を始めた。

ちょうどその頃、奈良県にある日本語学校の上田市朗校長が、張氏から送られてきた書類を見て、張氏の経歴に心を打たれた。その後、上田氏は中国にいる張氏を3度も訪ね、張氏のためにビザ申請のためのさまざまな手続きを行った。1997年4月16日、張氏はついに日本の地に足を踏み入れた。

■アルバイトをしながら学び、天理大学に合格

奈良の日本語学校で学んでいる期間、午後の時間を利用してアルバイトに励み、それで得たお金を借金の返済にあてた。午前中は奈良市の学校に通い、午後は天理市の家電量販店で働き、夜間は宅配便を取り扱う物流会社でアルバイトをした。アルバイトが忙しくても、張氏が学ぶことを諦めることはなかった。毎日深夜に家に帰宅し、どんなに遅くなっても、日本語を1時間は勉強した。最終的に、張氏は語学学校の出席日数の最多記録を塗り替え、学校で唯一の皆勤となった。1999年4月、張氏は天理大学に合格し、大学で一番年上の学生となった。


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