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ゴミ漁りから日本で語学学校を創設した初の中国人

人民網日本語版 2015年06月17日10:23

天理大学のキャンパス内の張福龍氏

江蘇省揚州市儀征市の片田舎の農村で生まれた張福龍氏は、貧乏のため早くから学校を中退し、家で農作業を手伝っていた。しかし、生来負けず嫌いな張氏は、農民でいることに飽き足らなくなり、南京に出稼ぎに出ることに決めた。ゴミ漁りをしながら日本語の勉強を続けた。その後、日本語能力試験の最高レベルのN1に受かり、日本へ留学し、修士の学位まで取得した。そして現在、張氏は、中国人として初めて日本政府の認可を受けた外国語専門学校を日本で創設した。張氏は、「私は、今年で50歳ですが、精神的にはまだまだ若いです」と語る。張氏は、自分のキャリアを活かして、もっと多くの若者が夢によって人生を変えることを応援したいと思っている。揚州晩報が伝えた。

■ゴミ漁りの日々から、日本語能力試験N1に合格するまで

1992年、小学校レベルの教育しか受けていない張氏は南京に出稼ぎに出た。しかし、労働者の募集市場で挫折を味わった張氏は、ゴミ漁りの年配者とともに、ゴミの中の宝探しの仕事を始めた。

ゴミ漁りをしている頃は、軽蔑や誤解、恥辱を受けることはしょっちゅうだったが、張氏は黙ってこれらを受け入れた。その後、映画館の掃除の仕事をしている時、1人の留学生に出会ったことから、張氏の頭に日本語を勉強するという考えが浮かび、仕事を辞めた。そして、昼間はゴミ漁りをし、夜は日本語を学んだ。人並み外れた気力で夢を追い求め続けた結果、張氏は1995年に見事試験に合格し、日本語能力試験N1を取得した。

農村から都市に出てきてゴミ漁りをしていた張氏は夢を追い求めることを諦めず、毎日日本語を勉強した。ほどなくして南京の複数のメディアが張氏のこれまでの経歴を報道したため、イメージアップを図る多くの会社から張氏にスカウトの話が舞い込んだ。しかし、意外なことに張氏は20数社にも及ぶ会社からのオファーをすべて断り、故郷の儀征市に戻り母校で教壇に立つ道を選んだ。


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