中国の養父母の写真を見る大道武司さん
半世紀が過ぎた今でも、大道さんが忘れられない光景がある。気温が氷点下30度以下になる哈爾浜の冬、養父が人力車を引き終え、息せき切って家に戻ると、懐からまだ湯気の立つパオズを取り出し大道さんの手に持たせた。養父は地べたにしゃがみ込み咳をしていた。大道さんは窓から雪の降りしきる光景を見て、養父は温かいパオズを自分で食べることを惜しみ、急いで家に戻ったのだと気づいたという。
1972年の国交正常化後、大道さんの兄が新聞を介して大道さんと連絡を取ることができた。兄弟姉妹4人はその後東京の空港で再会を果たす。逸れてから30年以上経った日のことであった。1986年、大道さんは妻と末っ子の息子を連れて日本に帰国したが、年老いた養父母を心配して16歳の長男を中国に残した。1989年に養母が逝去すると、翌年、大道さんは養父を日本に連れてくることを決めた。「養父には私1人の子どもしかいない。私が最後まで世話をさせてもらわないと育てて頂いた恩に報えないと思った」。「80歳近い養父は保育所に通う孫の送り迎えをしてくれている。養父は私たち親子三代を育ててくれた」と大道さんは語る。