〇責任を持って任務を全うし、西蔵支援で「孔繁森精神」を発揮
1992年末、孔繁森氏にとって2回目の西蔵駐在業務が任期満了を迎えた。西蔵自治区党委員会は、彼を阿里(アリ)地区の委員会書記に任命する決定を下した。この決定は、彼が西蔵での業務を続けることを意味していた。人生における重大な分かれ道に差し掛かった彼は、何の迷いもなく、党の決定と住民からの要望に従った。
当時50歳を迎えようとしていた孔繁森氏がアリ地区に赴任した後、2年も経たないうちに、同地区の経済社会発展は新たな段階に突入した。
1994年、アリ地区のGDPは、前年比37%増の1億8千万元(約33億6千万円)を上回った。
1994年末、孔繁森氏は公務執行中に不幸にも交通事故に遭い、50歳で殉職した。彼の遺品を整理した際に出てきたのは、2つの遺品だけだった。ひとつは、わずか8.6元(約160円)の現金。もう一つは、亡くなる4日前に書いた、アリ経済発展に関する12か条の提案書だった。
孔繁森氏が西蔵に行ったことで、より多くの「孔繁森」が集まって来た。20年あまりの間に、「孔繁森精神」は、周囲を明るく照らす灯のように、西蔵支援を担当する幹部を激励・鼓舞した。後に続いた彼らは、西蔵の素晴らしい未来のために、全く苦労を厭うことなく、勇敢な心で任務に取り組んだ。
彼らは、「奉仕」の道を選択し、平凡な役職においても、「両道精神」を実践した。