辺鄙地区の小学校学生に学習用品を寄付する。
■北京徒歩運動センターの創設、ウォーキング愛好家を世界へ導く
記者:帰国後に、どのようなことがありましたか?
金氏:帰国後は大学で教員を続ける気になれず、北京でビジネスを手がけました。
当初は、知り合いに資金の都合をつけてもらい、中日合弁会社を設立し、弁当の生産・販売をしました。だいたい1000万円、当時の相場で100万元以上を投資しました。会社は10月より経営を開始し、約半年後、翌年の3月には、毎日の弁当の宅配数が1300食以上に達し、生産ラインで毎日約6000食の弁当を作れるようになりました。しかし弁当の販売後に大規模な食中毒が発生し、100万元以上を賠償で失ってしまい、倒産に追い込まれました。私はその後、食品業界は誰でも参入できるわけではないことを知りました。
その後、私は中日文化交流の活動を催し、中日経営者フォーラムを開きました。フォーラムのテーマは中日経済問題でした。私は経済を専門としていないので、開催期間中にずいぶん苦労させられましたが、なんとか成功させることができました。
これらの活動によりお金を稼ぐことはできましたが、自分の好きなことではないと常々感じていました。私のような性格ならば、ビジネスと趣味を結びつける方が理想的でした。そこで私は留学時代に経験したウォーキングを思い出しました。私は2002年に徒歩運動センターを設立し、大規模なウォーキング活動を実施しました。2008年の北京五輪の年には関連イベントを開催し、さらに北京毎日徒歩運動センターを国際市民スポーツ連盟(IVV)に加盟させ、中国のウォーキングと世界を結びつけ、国際市民スポーツ連盟中国本部(略称はCVA)の北京での設立を促しました。その後、ウォーキング関連サイト「中国徒歩網」を開設しました。
記者:ウォーキングのイベントで、日本との交流はありますか?
金氏:日本とはずっと交流してきました。私の催したイベントに、よく日本の友人が参加してくれました。温家宝前総理が訪日した2007年に、私は「周恩来の日本滞在の足跡を訪ねて」という中日民間友好使者のウォーキング大会を、4月5日から11日にかけて東京と京都で実施しました。東京はちょうど桜が満開で、100人以上の中国のウォーキング愛好家と、200人以上の日本の民間のウォーキング愛好家が、主催者側が工夫をこらしたルートを歩きました。周恩来元総理が日本留学中に学んだ東亜高等予備学校跡地、本を購入した神保町の書店街、食事をした中華料理の「漢陽楼」、試験を受けた本郷、桜を鑑賞し展示会やコンサートを楽しんだ上野公園を中心に、風光明媚で満開の桜が見られる小石川後楽園、東京大学、不忍池を経由し、終点の上野公園に向かいました。総距離は10キロに達しました。両国の一般市民は、周総理の足跡をたどり、ウォーキング、桜の鑑賞、フィットネス、交流により、総理を懐かしみ、日本を感じ、友好を願いました。
記者:日本留学を控えている学生に、なにか提案はありますか?
金氏:日本は中国から近い国です。私は、今の若者は中日関係を考える際に、より良い方向に、より長期的に考えるべきで、民族的な恨みを抱くべきではないと思います。中国人にせよ日本人にせよ、一般人の心と望みは同じで、みな平和的な交流を願っています。ですから日本で留学するならば、平和な心によって学ぶべきです。日本に行き、その社会と民族を理解すれば、中国人が学ぶべきことが多くあることに気付かされます。日本の深いレベルの文化を理解すれば、より良く日本人と付き合う方法を知ることでしょう。これが私の、留学生に対するささやかな提案です。(人民網記者陳建軍/編集YF)
「人民網日本語版」2014年5月29日
2008年北京五輪の応援イベントを実施し、北京オリンピック組織委員会の蒋效愚副主席と交流する金喬氏。