▽「占領時の日本で製造」を日本人は忘れるな
司会者:2011年、盧溝橋事件で反撃の最初の銃弾を放ったことで知られる抗日将軍・吉星文の子息が、父親が遺した形見を呉さんの博物館に寄贈しました。この寄贈品についてお話いただけますか。
呉先斌:吉星文将軍は盧溝橋で反撃の最初の一打を放ち、「吉大胆」と呼ばれました。愛国将校として知られる吉鴻昌の甥でもあります。吉星文は1949年に台湾地区に行きました。2、3年前、ご子息の吉民立氏が私達の博物館を訪れ、吉星文将軍が生前に使用していた品々を博物館に寄贈されました。この時に贈られた杯には、ちょっとしたエピソードがあります。この磁器製の杯の裏側には英文で「Made in occupied Japan」(占領下の日本で製造された)と書かれています。どういう意味かおわかりでしょうか。日本は投降後、マッカーサー率いる米軍に進駐され、主権国家でなくなりました。そのため1945年から1952年の日本の輸出品にはこの「占領下の日本」という印があるのです。
盧溝橋事件77周年の今、この「占領下の日本で製造」という印は人々に、とりわけ日本の人々に、この歴史を忘れるなというメッセージを伝えているように思います。戦争が繰り返されることを望んでいる人は誰もいません。戦争には正義と非正義の区別があることもありますが、戦争がもたらす苦しみは庶民に負わされます。中国人であれ日本人であれ、平和を愛する人々は、戦争を起こそうとする政治家の企みに注意を払っていなければなりません。