▽1937年の避難日記が南京大虐殺の間接証拠に
司会者:南京の歴史を語ろうとすれば、南京大虐殺の歴史に触れざるを得ません。吉林省公文書館がしばらく前、日本軍の中国侵略について89点の資料を整理・公開しましたが、そのうち6点は南京大虐殺にかかわるものでした。呉さんの博物館には、南京大虐殺にかかわる収蔵品はどのくらいあるのでしょうか。
呉先斌:そのニュースは私も見ました。吉林省公文書館の公開した資料も見ました。南京大虐殺の史料は直接的な証拠と間接的な証拠に分かれます。私の博物館にある直接的な証拠は多くはありません。史料はほぼ3つに分かれます。一つは、手紙の往来。もう一つは、大虐殺期間の庶民の避難者リストや団体の避難者リスト。さらに間接的な証言があります。例えば、日本人が攻めてきて避難を始めた南京市民が書いた日記です。40日避難していた人は、40日分の日記を付けています。こうした日記には、筆者の読んだ報道内容や、南京から逃げてきた人から聞いた南京大虐殺の状況などが書かれています。これは勿論、間接的な証拠ですが、非常に珍しいものです。当時の中国はまだ後れており、教育を受けた人は少なく、日記を残せる人も多くはありませんでした。私は博物館の設立から十年間、民間の日記をずっと集めていますが、これまでに見つかったのは2冊しかありません。一つは1937年の日記、もう一つは1945年の日記です。1937年の日記は非常に貴重なものです。日記の作者は小学校の先生で、教育を受けた人でした。もしも普通の庶民なら日記を書くことはできなかったでしょう。
これに関連して、少し別の話にはなりますが、皆さんにはぜひ日記を付けていただきたいと思います。日記は個人生活を記した軌跡となるだけでなく、将来は私達の歴史となるかもしれません。民間の日記は、社会を反映した重要な歴史の証拠となります。